歌会始に参って
新年の宮中恒例行事「歌会始の儀」が15日皇居正殿松の間で行われました。昨年12月初旬に私をお招きくださるというお話がありました。緊張しましたが、大変嬉しく思いました。なにしろ、歌会始は、日本の年始の重要行事の一つで、長く続いてきた雅やかな文化的行事なのですから。
「歌会」は、共通の題で歌を詠み,その歌を披講する会で、奈良時代には既に行われていたといいます。そして、天皇が年の始めの歌会としてお催しになる歌会を「歌御会始(うたごかいはじめ)」といい、その起源は明瞭ではないけれども遅くとも鎌倉時代中期に遡るといわれています。その後、「歌御会始」は、改革を加えられながら今日まで連綿と続けられており、明治7年(1874年)には一般の詠進が認められ、更に、明治12年(1879年)に一般の詠進歌のうち特に優れたものを選歌とし,歌御会始で披講されることになったと言います。そして、大正15年(1926年)には,皇室儀制令が制定され,古くから「歌御会始」といわれていたものが,以後は「歌会始」といわれることになったのだそうです(宮内庁ホームページより)。
最近の歌会始は、TVでも放映され新聞等にも掲載されますから、よく知られていると思いますが、前年の始めに示されたお題(今回は「生」)をうけ、毎年2万数千人に及ぶ一般の人々の詠進から選ばれた歌と、選者、召人、そして、皇族の方々の歌を詠いあげ、みんなで新しい年の始まりを祝う恒例の会となっています。話題になりましたように、今年は中学生の方の歌も選ばれています。
楽しさがふくらんできましたが、しかし、その前日の午後にも公務がいくつかあり、大学を出ることができるのは夕方で、東京到着は深更になります。当日広島を出発しても通常なら間に合わないわけではありません。しかし、やはり前日から東京に、それも翌朝の交通のことを考えると皇居にできるだけ近くに泊まるのがいいと思いました。
その日は穏やかな天気でした。朝、皇居に隣接するホテルを出て、参入指定時間の1時間前(開始の1時間30分前)には、長和殿北溜(北の玄関)に到着しました。北溜につづく長和殿東側の大変長い廊下には、朝の日と影がやさしく、小学生のころの日向ぼっこの陽だまりの温もりを思い出しました。そして、「ああ、年賀のご挨拶のバルコニーがここにあるのだなあ」と思いながらゆっくり歩みました。廊下中ほどに設けられていた受付をへて、春秋の間に入ると、既に、お二人の方がお待ちでした。
やがて、人も揃い、会の進行について説明がありました。そして、「もしご気分がお悪くなられましたら、途中でもどうぞお知らせください。どうかご遠慮をなさらないようにしてください」と言葉が添えられたのです。このような会に臨むに当たり、この配慮があることを大変嬉しく思いました。そういえば、服装についても予想以上におおらかでした。案内状には、男性はモーニングコート着用とありましたが、ネクタイやポケットチーフ、靴についてのご注意はなかったので、これらをどの程度のフォーマルなものにするのか、あれこれ考えましたが、結局、私は、すべてモーニングにきちんとあったフォーマルレベルにすることにしました。それでもネクタイについては正統の白黒のストライプですが、定番ではなくややおしゃれなものにしていました。80人ほどの参加者と式部官の装いをみると、ネクタイはそれぞれにお祝い用ですが、しかし、とりどりでした。また、チーフも靴もいろいろであり、この会の運びにおけるのびやかさを感じて、心安まる思いをしました。ただ、外国からの賓客閣下(エクセレンシー)のお一人は、オーソドックスな白黒斜め縞のタイで、この方の、こういう心配りも映えていました。
まもなく、いい時間となり、一人一人名前を読み上げてご紹介いただいた順に部屋を出て、幅ひろい廻廊を通って正殿の松の間に向かいました。左後ろ上方から斜めに、朝の日差しがやわらかに廻廊を照らしていました。右に、正殿の前庭が明るく展開し、紫宸殿でいえば丁度右近の橘のあたりの位置にある木が花をつけていました。廻廊から階をのぼり松の間に入りました。
松の間では、皇族が御越しになって、紅顔のきりっとした中学生による広島の歌から始まりました。そして、選者、召人の歌のあと、皇族殿下のお歌、そして、御歌(みうた)、最後に御製(ぎょせい)が披講されました。すべての人が、初春を祝う気持に満ち満ちた、なごやかな雰囲気の中で、まず、ゆっくりと読み上げ、そして節をつけて詠い上げられる和歌を聞きながら、私は、タイムスリップした感じで、万葉・平安時代からの歌人を思いながら、ゆったりとしたひと時を楽しみました。
歌会が終わりますと、お祝いの酒肴を、もとの春秋の間でいただき、退出しました。
私は、歌や詩は好きでいろいろの機会にその場に応じた詩歌を暗唱したりしていますが、中学・高校の時に授業の課題でつくった以外には、時に心のなかで詠んでみることはあっても、それを文字に書きとめたことはありません。しかし、このようなお招きをいただいたからには、自らも試みるべきだと思い、作って当日を迎えました。ご笑覧に供します。
なお、広島市内の比治山には昭和天皇が昭和22(1947)年広島に行幸なさり、相生橋の近くで平和の鐘をお聞きになられたときの大御歌碑(揮毫:灘尾弘吉元衆議院議長・広島市名誉市民)があります。
ああ広島/ひと/水/土の/声きこゆ/大学つくりに/生きるこの日々
公立大学法人県立広島大学
理事長兼学長_赤岡功

