| |
文部科学省・現代的教育ニーズ取組支援プログラム「学生参加による世界遺産宮島の活性化−学生が宮島の魅力を再発見し,世界に発信する−」の公開シンポジウムを以下のとおり開催しました。 |
|
|
|
|
|
| ◆ |
日 時 |
平成19年6月2日(土)13:30〜17:15 |
| ◆ |
会 場 |
県立広島大学広島キャンパス大講義室兼講堂 |
| ◆ |
報告者 |
| |
|
|
本多博之・広島大学大学院文学研究科准教授 |
|
|
「厳島門前町と住人構成」 |
|
原田佳子・広島女学院大学名誉教授 |
|
|
「神にささげられた品々−能面・能装束・絵馬を中心に−」 |
|
西本寮子・県立広島大学人間文化学部教授 |
|
|
「保田忠昌『石風呂入治記』を読む−広島城下の文芸と文政期の厳島−」 |
|
|
|
|
|
|
|
| |
|
| |
シンポジウム概要 |
| |
本多博之氏(日本史)は,戦国時代から安土桃山時代にかけての厳島門前町と住人,大内・陶・毛利氏の町支配の変遷と有力町衆の役割などを史料的に確認した上で,江戸時代初期(17世紀末頃)の厳島門前町の町並みの様子と住人の構成について,これまで具体的に分析されることがほとんどなかった大願寺蔵厳島絵図の記載内容を中心に明らかにされました。とくに,絵図から得られる情報として屋号を持つ屋敷に注目し,厳島近辺だけではなく遠く関西・四国・九州地方の地域名の屋号が多数存在しているのは,当時の厳島の商圏の広がりを示すこと,品名屋号からは日常生活物資から高級品まで,多彩な商品が取り引きされていたことがうかがえることなどを指摘されました。その他にも,長州藩主の「厳島名代参」を務めた児玉肥前の屋敷が塔の岡付近にあること,誓真釣井よりも100年以上早くから井戸が存在していることなどの新事実も明らかにされました。
|
| |
|
| |
原田佳子氏(美術史)は,厳島神社には人々によって願いと感謝をこめ神にささげられた数々の品々(宝物)があること,なかでも室町時代以来,神にささげられる「神能」で使われた能・狂言面,能・狂言装束は,質量ともに優れていること,『芸藩通志』第13巻に「新古の絵馬(中略)其数幾百枚なるを知らず」と記されているほど,多くの絵馬が所蔵されていることなどを指摘され,『厳島平成絵馬鑑』(2003年)としてまとめられた,長年にわたる絵馬研究の成果の一端を紹介されました。また,「神能」や絵馬寄進の歴史を文献史料によって跡付けながらその数量や特色を明らかにされ,代表的な作品についてパワーポイントの画面でわかりやすく解説されました。
|
|
|
| |
西本寮子氏(日本文学)は,江戸時代後期,多くの人々で賑わっていた厳島の石風呂について,来島者は日に一二度石風呂に通いながら,その合間に折々の厳島を満喫していたことを,広島城下の商人で和歌を学び,厳島神社御文庫(名山蔵)への書籍奉納にも関与していた保田忠昌『石風呂入治記』によって明らかにされました。『石風呂入治記』(広島県立文書館)は,忠昌が文政元年〜3年(1818〜20)に厳島を訪れた際の紀行文で,石風呂入治以外の余暇の過ごし方は,桜狩,舞楽・神能見学,弥山登山,浦廻りなどで,現在の宮島観光の原型が江戸時代には既に存在していること,忠昌は厳島を身近な信仰の地,行楽の地,癒しの地として意識しており,単なる旅行者の眼とは違う視点で,変わり行く厳島を見ていることなどを明らかにされました。『石風呂入治記』は記録性の強い下書きと文芸作品として仕上げられた清書本が両方揃って残っており,地域の文芸作品もそこから虚構的な要素と文学的な営みの部分を剥ぎ取ることによって,地域史研究の史料として利用できることを提言されました。
|
| |
3人の報告の後,三浦正幸・広島大学大学院文学研究科教授と秋山伸隆・県立広島大学人間文化学部教授がコーディネーターとなり,厳島信仰の広がりが他の有力神社に比べてどのような特徴をもっているのか,厳島の町の商家の生計は何によって成り立っていたのか,なぜ厳島神社にこれほど多くの奉納物(神宝)や絵馬が伝わっているのか,などを主な論点として,会場の参加者も交えた熱心な討議が行われました。
|
|
|
|
|
|
|
|
総括 |
| |
今回の公開シンポジウムを開催することによって,学生と参加者は,厳島信仰の際立った広がりと,意外に知られていない江戸時代における宮島の繁栄について,多くの新しい事実を学び,理解を深めることができました。
事前準備やポスターの発送,当日の会場の受付などを手伝ってくれた学生たちからは,「このようなイベントの準備の大変さ,裏方の仕事の重要性がよくわかった」「シンポジウム会場の熱気を友人に伝えたい」などという感想も聞かれました。さらに,本多報告の重要な資料となった大願寺蔵絵図の調査を実際に手伝った院生たちは,「新たな資料を発掘し,所蔵者の理解を得ながら調査し,研究成果として結実させていく過程を目の当たりにして,多くのことを学ぶことができた」と話してくれました。
|
| |
シンポジウムには約280名の参加があり,本学の学生・教職員のほかに,広島大学など中国・四国地方の大学関係者,廿日市市や地元宮島の住民の方々が数多く参加され,本学の現代GPに対する関心の高さがうかがわれました。
今回のシンポジウムは,数多くの参加者の前で最新の研究成果が報告され,全体として大きな成功を収めたと考えています。とくに討議のなかで,厳島信仰の広がりの範囲が日本全国の神社の中でも際だっているのはなぜか,江戸時代の宮島の町並みの繁栄の基礎はどこにあったのか,などが論点として提起されました。これらの点について,教員と学生が一体となって学術的な研究を続けていくことによって,現在の宮島の地域活性化のヒントが得られるのではないかという視点を,今後の現代GPの事業推進に活かしていきたいと考えています。
|
| |
|
| |
|
| |
|
| |
|
| |
|
| |
|