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学長ブログ第2回「ケヤキ並木」

印刷用ページを表示する 2013年8月2日更新



緑陰に話して遠くなりし人

広島キャンパスケヤキ並木

 読売俳壇の選者である矢島渚男の句です。緑陰で語りあった人は選者とどのような関係にあった人なのでしょうか。自らの「遠くなりし人」を想い浮かべ、青春時代を振り返させるのは、緑陰という言葉の持つ誘いかも知れません緑陰は夏の季語。盛夏を想わせます。広島キャンパスから数十メートル歩む間、ケヤキの葉の茂みの重なりのもたらす木陰に汗を拭いつつ、ほっとした時にこの句を思い出しました。

 5月頃のケヤキの葉からは、青空が覗いていました。風のざわめきで青空がゆらぎながら木漏れ日を作り出していました。木漏れ日は夏の季語。初夏の爽やかさを想わせます。同じ夏の間に木立は様々な装いを示し、日本語は巧みにそれを描写してくれます。ところで、木漏れ日に相当する英単語はあるのだろうか。部屋に入るなり、ネットでの探索が始まりました。多くのサイトがSunlight filtering through treesに類したものでした。そのままの説明です。牛肉や豚肉の部位には覚えきれない英単語が用意されているのですが、育つ風土や文化で、自然に対するこだわりに違いがあることを反映しているのでしょう。

 在外研究員の時代、研究室でピクニックに行ったことがあります。ニューヨークの北、ニューヘブン郊外の7月は、夜8時でもまだ明るく、森では蝉が鳴いていました。アブラゼミのような響きでした。何ゼミなのだろうか? 蝉を意味するCicadaという単語が浮かばず、鳴いている生き物は?と研究室のアメリカ人に問いました。「鳥かな?うるさい鳴き声だね。」それ以上の会話は継続しませんでした。彼らには「岩に染みいる蝉の声」を理解することは難しいでしょう。

 ある人の論文で、よろしく(お願いします)に相当する英語は無いということが記されていたことを記憶しています。「英語では、具体的に自分が主体となり、相手に何をどう依頼するかを述べなくてはいけない。日本語のよろしくは、威圧的ではなく、相手の好意を引き出す。それが相手に対する礼儀にもなっている。」という内容でした。

 縄文時代から培われたアニミズムもその背景にあるのでしょうが、相手の心にそれとなく入り込み、他人を気遣う姿勢が、自然に対しても同じように振る舞うことによって、日本人の自然に対する観察表現の豊かさと自然を畏敬する感性が育まれたのではないでしょうか。緑陰の言葉のもたらす涼やかさには、感謝の気持ちさえくみ取ることができます。

 自然を再生させ、自然と人間が共存できる社会を作ることがこれからの社会発展の大きな課題になります。そうしたテクノロジーの開発は、自然と寄り添う感性が大きな武器になり、日本人の強みを生かせる分野であると信じています。

  広島キャンパス正門から始まるわずか50メートルに満たないケヤキ並木の歩みですが、私にとって、自然の移ろいを感じ、様々な発見や瞑想を産む大事なひとときになっています。


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