何れがリアルなりや ー 「悪童日記」と「マディソン郡の橋」 ウォラーという作家は結構うまい作家だ。まず、読者がウォラー自身であると見なしてしまうような作家を登場させる。そしてその作家のもとにある兄妹が訪れて自分たちの母親の物語を聞かせ、それを小説として世に公表する運びになる。それがこの小説の本体となる部分だ。ああまるで実際に起こったことみたいじゃないか!この作家は、更にその母親フランチェスカの日記を挿入したり、あの手この手を尽くしてこの物語が実際にあったことのように見せかけている。これがなかなかたいしたものだ。
この物語は基本的には中年男女の愛の物語だ。マディソン郡のある農家の主婦フランチェスカと、マディソン郡にある屋根付きの橋を撮影しに来た写真家ロバート・キンセラとが恋いにおちる。この関係は4日間続く。この小説のミソはこの4日間という短い期間だ。 彼らの恋愛はこの4日間に化石化され、後は美しい思い出として二人の記憶の中に残る。 もし、この関係が長い間持続していたとすれば、二人の関係、或いは、フランチェスカと家族との関係には様々な確執が生じ、決して「美しい思い出」に終わることはなかったろう。 この恋の物語は4日間に凝縮されることによって、不純物が入る余地が締め出され、激しく純粋な恋愛たり得ているのだ。もちろんこれも作家の意図的なストラテジーであり、読者を感動させる技巧として見事な成功を収めている。「でも待てよ。この感動ってちょっとインチキ臭くない?」こんな気持になっちゃうのは何故なんだろう。実はこの小説、小説のような格好をしているけど、実際は「おとぎ話」なんだ。それを、本当にあり得るお話のように見せかけているところにこの作家の技巧的なうまさがある。「おとぎ話」に感動したって別に悪いことはない。でも、「おとぎ話」を「現実」として感動してしまうのはちょっと問題があるんじゃないの?実はこの本を僕が読んだのは、市立図書館の読書会の講師を頼まれたからなんだ。昼の読書会だから、参加者は中年以上のおばさ…じゃなくって…女性と定年 退職した男性が大多数で、その女性の方々はおおむね感動したそうな。僕は作家がこの小説に用いている技法のことを詳細に分析して、最後に「みなさん感動されたみたいです けど、もしみなさんの夫がこのような感動的な恋愛をされたら、まあ素晴らしいといって、 感動されるでしょうか?もしそれが出来ないのなら、みなさんの感動ってちょっとインチキくさいんじゃないですか。」と捨てぜりふを残して帰ってきました。その時の僕の話全体のスタンスは、感動も感傷も別に悪いことじゃないけれど、へたな感傷は世界を見る目を狂わせて仕舞いかねないんじゃないか、というものでした。如何なものでしょう? 一方「悪童日記」の方はどうだろうか。この小説の舞台となるのは第二次世界大戦末期のオーストリア国境近くのハンガリーの村だ。主人公は双子の少年。父親は従軍記者で長らく消息を絶っている。二人は母親と「大きな町」(たぶん首都のグダニスク)に住んでいたが、危険だという理由で彼女の母親つまり祖母のところに預けられることになる。しかし、言明はされていないが、どうやら母親に恋人が出来て厄介払いされたというのが事実らしい。このばあさんというのがなかなか凄まじい人物で、噂では自分の夫を殺したということになっている。これは、どうやら噂だけではなく、苦しい状況の中で自活して生きて行くためにグータラな酒飲みの夫を実際に殺してしまったようだ。このばあさん孫の面倒など見ようとせず、自力で生きて行くことを教え込む。この双子の男の子の周りには頼るべきものはなにもない。頼るべき人もいなければ判断の根拠となるべき道徳もない。自分たちだけで、自分たちのだけの価値観に従って、生きて行かなければならないのだ。彼らは自分たちの面倒を見てくれる教会の下働きの女が、ドイツ軍に連行されるユダヤ人をからかったという理由で彼女を殺してしまう。また、国外逃亡を企てる(彼らの父親とおぼしき)男をそそのかして、地雷原を通り国境から脱走させようとするが、彼は地雷を踏み爆死する。そして、彼が歩いた安全な経路を通って、双子の一人はオーストリアへの脱走に成功する。その一方彼らは近所に住み皆から馬鹿にされている女の子にやさしくしてあげる。この双子たちは、殺人も平気で犯す。彼らは、まず生き延びなければならないという絶対的な前提をもとに、一般的な道徳観が全く通用しない世界で、自分たちで価値観を作り上げ、それに従って生きている。それは一見無茶苦茶で、彼らの行動は現実にはありそうもないように見えるかも知れない。しかし我々はその二人の生き様に何時しか共感を覚えている自分に気付くことになる。彼らの現実は何時しか強烈なリアリティーを伴って我々に迫ってくる。 小説のリアリティーとは、その小説に描かれていることが実際にありそうなことなのかどうかというのとは関係ないように思われる。みなさんはこの二つの小説、何れがリアルなりやとお考えでしょうか。じっくり読み比べてみて下さい。 |