日本文学盛衰史

「日本文学盛衰史」 (高橋源一郎)




「群像」に連載されていた高橋源一郎の『日本文学盛衰史』が単行本になりましたので、早速読んでみました。私はずっと昔から高橋源一郎が好きだったのに(と言っても、高橋源一郎の小説であって、彼自身ではありません)、よく考えたら「推薦図書」でも「書評」でも取り上げていなかったのが不思議でなりません。という次第で、この機会に楽しく読ませてもたったお礼も兼ねて(?)書評でも書いてみましょ、ということになった訳です。
 この小説は、二葉亭四迷、島崎藤村、夏目漱石、森鴎外、北村透谷、石川啄木、田山花袋といった、明治以降欧米の文学の影響を受けながら日本の新しい詩・小説の草創に貢献した作家の苦悩(?)を小説仕立てで描いています。とは言ってもそこは高橋源一郎のこと、様々な意匠が凝らされていることは言うまでもありません。例えば、石川啄木が「援交」をしたり、「ブルセラショップ」(もしかして、私のホームページを訪れてくれる真面目な方々には分からない?)の店長をしたりと言った次第です。何時の間にか明治と現代が入り交じってしまうのです。
 もちろんこの小説には近代日本文学の草創期固有の問題が描かれていて、高橋源一郎にしては珍しく(?)文献などもかなり調べているようで、当時の状況がかなりリアルに描写されています。しかしそれと同時にそれが現代の日本文学シーンと共通した問題を孕んでいるという認識があるからこそ、明治と現在とがオーバーラップされる訳です。例えば、当時の自然主義文学の自らのプライバシーをさらけ出すといった姿勢は、現代の「アダルトヴィデオ」において更に徹底した姿勢でなされている訳で、そうだとすればそのような中途半端な媒体である小説は不要になってしまいます。現に、小説は様々なメディアの出現の中で益々読まれなくなりつつあると言うのが現状です。そのような状況の中で現在の小説家は新しい日本文学の草創を余儀なくされていると言ってもいいでしょう。
 この小説はいわば近代日本文学草創期という原点に立ち返り、そこでの問題を検証しながら、これからの新たな日本文学の草創に向けて模索しているのです。
 うーむ、こう言ってしまうと何だか余りに真面目一本の小説のように聞こえてしまうけど、そうでないところが新しい小説を目指す高橋源一郎の面白いところであって、そこはまず読んで頂かないと・・・。だってそうでしょ、石川啄木が援交」をしたり、「ブルセラショップ」の店長をしたりしていると言った発想だけでも面白いものね。やれやれ、無責任な書評になってしまった。ご免なさいね。
 ちなみに、作品中に引用される『漱石の実験』(朝文社)の著者松元寛先生は私の恩師で、この本も頂いて読んでいます。いい本なのでこちらも買ってくださいね。(宣伝までしてしまいました。)