


第1挿話 Te1emachus
場所:塔
時刻:午前8時
マリガンが塔の胸壁でひげを剃りながら、スティーヴンに声をかけ、もっと陽気になれと言う。スティーヴンは母親が死んだときのことで苦悩し、マリガンの態度のせいで傷つく。二人は階下へ行き、マリかンはスティーヴン、ヘインズ、自分のために朝食の支度。ミルク売りの老婆が来る。三人は塔を出て、マリガンは「おどけイエスのバラッド」を歌ってから水泳。ヘインズはスティーヴンと語る、三人は昼の12時半に酒場で会うことにする。
学芸:神学 色彩:白、黄金いろ 象徴:相続人 技術:語り(若者の) 神話的対応:スティーヴンが『オデュッセイア』のテレマコス(オデュッセウスの息子)に対応する。
主要人物 スティーヴン・デタラス(Stephen Dedalus)
『若い芸術家の肖像』の主人公、『ユリシーズ』では中心人物三人のうちの一人、ダブリンの若い学校教師、詩人。経歴その他でジョイスによく似ている。幼少からイエズス会の教育を受け、少年時代にカトリックの信仰を失い、ユニヴァーシティー・カレジで文学を学ぶ。卒業するとパリ留学を強行したが、母危篤の電報で帰り、臨終に立ち会った。いまは海辺の塔で友人と共同生活をしている。貧しくて、衒学的で、警句を好む。二十二歳。
マラカイ・マリガン(Malachi Mulligan)
バック Buck(「牡鹿」「伊達男」)の緯名がある。医学生。多弁で才気に富みシニカル。ダブリンの文学者仲間ではスティーヴンより格が上である。塔で彼と共同生活している。二人の友情は微妙な心理関係にある。後年、著名な耳鼻咽喉科医で詩人となるオリヴァー・セント・ジョン・ゴーカテイ(1878-1957)がそのモデル。
第2挿話 Nestor
場所:ドーキーの学校
時刻:午前10時
スティーヴンは塔から歩いて約15分のところにある学校で、勉強する気のない生徒たちに古代ローマ史と17世紀のイギリスの詩を教える。生徒に質問を出して、彼らが理解できないことを口走るが、これは彼の屈託と関係がある。授業のあとで一人の生徒に代数の手ほどき。校長のディージーから給料を受け取り、彼の書いた口跡疫についての投書を
知り合いの編集長に渡してくれと頼まれ、話してみようと言う。
学芸:歴史色彩:褐色 象徴:馬 技術:公教要理(個人的) 神話的対応:ディージーが『オデュッセイア』のネストル(トロイアで戦うギリシャの将軍たちの最年長で最も賢い者)に対応する。
主要人物 ギャレット・ディージー(Garrett Deasy)
校長、近在の裕福な家庭の子弟のため、イギリス式の教育をほどこすのが目的の小さな私立学校を経営する、アルスター出身のプロテスタント、イギリスの支持者で、ユダヤ人嫌い。スティーヴンを過激派フイニア会の一人と考えているが、才能は買っている。
第3挿話 Proteus
場所:遠浅の海岸(ダブリン市内南東サンディマウント)
時刻:午前10時
スティーヴンはドーキーから汽車か電車でタブリンヘ釆たらしい。彼は新聞社に向う前に、リフィー川河口南岸の突堤まで浜辺沿いに歩き、海辺の風景や人や犬を見ながら、人間の意識と外界との関係について考え、パリ滞在を回想する。アイルランドの歴史・政治・宗教のことも尾を引く。彼の視界にはいる人物は想像力によって脚色される。最初に見かける二人の女たちが特別区の出身で、その一人がフロレンス・マッケイブという産婆であるというのも、目の前を通る犬を連れたザル貝採りの男女がジプシーで、ならず者と安淫売であるというのも、スティーヴンの心が作りだしたもの。そして彼の以前の自分についての回想は、距離を置いた見方で、ユーモアがあり、『若い芸術家の肖像』のころより成熟したことを示す。
学芸:言語学 色彩:緑 象徴:潮流 技術:独自(男の) 神話的対応:スティーヴンの想念が、『オデュッセイア』の「海の翁」プロテウス(海神ポセイドンの牛飼い、つまりアザラシの群の番人で、やすやすと姿を変える)のように変幻自在である。ケヴィン・イーガンはメネラオス(テレマコスをスパルタで歓待)に当る。
第4挿話 Calypso
場所:エクルズ通り7
時刻:午前8時
ブルームは自宅の半地下の台所で妻のモリーのためにバターつきパンと紅茶を用意し、自分の朝食のために近所の肉屋に豚の腎臓を買いに行く。店の主人は彼と同様にユダヤ系らしい。帰宅すると手紙が3通来ている。娘のミリーからブルームとモリーに1通ずつ、それに興行師ポイランからモリーへの手紙。ブルームは寝室のモリーに朝食を運んでから台所で腎臓を食べ、裏庭のトイレへ行く。ポイランは午後モリーを訪ねて来るらしい。
器官:腎臓 学芸:経済学 色彩:オレンジ色 象徴:ニンフ 技術:語り(中年者の) 神話的方法:ベッドの上にかかっている絵《ニンフの浴み》のニンフが『オデュッセイア』のカリュプソー(難破したオデュッセウスを七年間もてなす)に当たる。
主要人物
レオポルド・ブルーム(愛称ポールデイ) Leopo1d Broom
いくつかの職業を転々としたあげく、現在はフリーマンズ・ジャーナル社の広告取り。38歳。父親ルドルフ・ブルームはハンガリーから移住したユダヤ人だが、18年前の6目27日、トリカブトを飲んで自殺。母親エレン・ヒギンズもハンガリー系ユダヤ人の血を引く。プロテスタントとカトリック双方の洗礼を受けたが、ダブリンの社会は彼をユダヤ人として扱う。マリアン・ブルームの夫で、15歳になる娘ミリセント・ブルーム(愛称ミリー)の父。生後まもなく死亡した一人息子を思う気持が強い。
マリアン・ブルーム(愛称モリー)Marion Bloom
ジブラルタル生れのソプラノ歌手。33歳。父親はもとジブラルタル要塞勤務の下士官ブライアン・トゥウィーデイー。母親はルニタ・ラレドというスペイン系ユダヤ人。両親は結婚していないらしい。母とは若いころに別れた。15歳のころ父といっしょにダブリンに来た。レオポルド・ブルームと結婚、娘ミリーがいる。10年目に生れた男児ルーディは生後すぐに死亡。
第5挿話 Lotus Eater
場所:浴場
時刻:午前10時
自宅を出たブルームはリフィー川の南側に来て、河岸沿いに歩き、郵便局に立ち寄り、局留の手紙を受け取る。彼はヘンリー・フラワーという偽名でマーサ・クリフォードという女性(これも偽名か)とひそかに文通している。郵便局を出たところでマッコイに出会って世間話をしながら、通りの向いで馬車に乗ろうとしている女に気をとられる。マッコイと別れ、女の手紙を読むために人気のない通りへはいる。手紙には花がはさんであり、ブルームは花言葉について考える。オール・ハローズ教会の裏口から中にはいり、司祭があげているミサをしばらく眺めたのち、今度は正面入口から外に出る。それから薬局に寄って、モリーの化粧水をつくるよう頼み、知人の葬式に参列する前に風呂にはいって行こうと思いながら石鹸を一つ買う。薬局を出たところでバンタム・ライアンズに出会い、アスコット競馬の記事を見たいといという彼に、「ちょうど捨てようと思ってたんだ」(throw away)と言って新聞を渡す。スローアウェイは今日の出走馬の一頭。最後に、入浴中の自分の姿を想像しながら、トルコ式浴場へ向う。
器官:生殖器 学芸:植物学、化学 象徴:聖餐式 技術:ナルシシズム 神話的対応:辻馬車の馬たち、教会の聖餐拝受者たち、ポスターの兵士たち、ブルームが思い浮べる入浴者とクリケットの観客は、『オデュッセイア』のオデュッセウスの部下たち(蓮を食べたため帰郷の欲望を失い、蓮の国で怠けている)に対応する。
第6挿話 Hades
場所:墓地
時刻:午前10時
ブルームの一行はタプリン市内南東サンディマウントのディグナムの家から、三台の会葬馬車に分乗して、霊枢車につづき、市内を通り抜けて、北にある墓地に向う。ブルームはサイモン・デダラスに「君の跡とり息子」が歩いていると告げ、自分の息子ルーディが生きていればと考える。彼が、午後ポイランがモリーを訪ねて来ることを気にしていると、そのとき一行の一人が通行中のポイランに挨拶する。ブルームの父が自殺したことを知らないジャック・パワーが自殺を非難すると、マーティン・カニンガムが話題をそらす。墓地に到着し、ディグナムを埋葬する。ブルームが、自分が十三人目であることを気にしていると、雨外套を着た見知らぬ男がいて、それが十三人目なので安心する。
器官:心臓 学芸:宗教 色彩:黒、白 象徴:管理人 技術:インキュビズム(夢魔インキュバスが悪夢を作り出すような手法) 神話的方法:ドダー川、グランド運河、リフィー川、ロイヤル運河が冥府の四河に対応する。コフィー神父は冥府の入口の番犬ケルベロスに、管理人は死者の国の支配者ハーデスに、ディグナムはオデュッセウスの部下でキルケの宮殿の屋根から落ちて死んだエルペノルに対応する。
主要人物 サイモン・デタラス(Simon Deda1us)
スティーヴンの父、経済的に失敗して、困窮しているが、おもしろい話を聞かせるし、テノールの美声の持主なので人気がある。ダプリンの名物男。ジョイスの父ジョン・スタニスロース・ジョイスがモデル。
第7挿話 Aeolus
場所:新聞社
時刻:正午
ブルームとスティーヴンは『フリーマンズ・ジャーナル』と『イヴニングテレグラフ』を出している新聞社で出会いそうになる。ブルームは社内の印刷所で、酒商アレグザンダー・キーズの広告のことで印刷工の監督と相談する。ここの編集室でスティーヴンはディージー校長の原稿を渡す。葬儀から戻ったサイモン・デタラス、金を借りようとするオモロイなどが現れて談論風発。ダン・ドーソンの演説、イダネイシャス・ギャラハーのスクープ、J・F・テイラーの弁説などが話題にのぼる。スティーヴンがみんなで酒場へ行こうと提案し、途中で彼はマクヒュー教授に自作の寓話を披露する。
器官:肺臓 学芸:修辞学 色彩:赤 象徴:編集長 技術:省略、段論法 神話的方法:編集長クローフォードが『オデュッセイア』の風の神アイオロスに対応する。アイオロスはオデュッセウスに、順風以外の風を封じこめた袋を与えた。
第8挿話 Lestrygonians
場所:ダブリンの都心の通り
時刻:午後2時
新聞社を出て国立図書館に行くまでの1時間ほどのブルームの足どりと意識。オコンネル橋では、YMCAの青年から手渡されたチラシをまるめてリフィー川に投げ捨て、鴎のためにケーキを買い与える。ウェストモアランド通りでは、ヒーリー文房具店および印刷所のサンドイッチマンを目撃し、モリーとの幸福な家庭生活を想起する。昔の恋人ミセス・ブリーンと立ち話をし、中傷の葉書を受け取った夫が訴訟を起そうとしていることや、ミセス・マイナ・ピュアフォイが難産で入院中であることを聞く。それからトリニティ・カレジの前を通り、繁華街のグラフトン通りでショーウインドーをのぞく。デューク通りのバートン食堂にはいろうとして、客の動物的な食べ方に嫌気がさし、デイヴィ・バーンの店で軽食をとりながらホースの丘でモリーに求愛した時のことを回想する。ドーソン通りで盲目の青年の手をとって横断を手伝い、図書館の側でまたしてもポイランを見かけ、あわてて隣りの博物館に逃げ込む。
器官:食道 建築 象徴:巡査たち 技術:蠕動 神話的方法:ライストリュゴネス族は『オデュッセイア』第十歌の人食い族。飢えがその王アンティパテスに、歯がライストリュゴネス族に対応する。
第9挿話 Schilla and Charybdis
場所:国立図書館の一室
時刻:午後1時
スティーヴンはここに来る前は酒場にいた。12時半に酒場シップでヘインズとマリガンに会う約束だったが、行かれないという電報を打った。図書館に来て、年長の、そして名声のある文学者たちに『ハムレット』論を披露する気になったのは、雑誌に売り込みたいせいか。今夜ジョージ・ムーアが文学者たちを招く会合にスティーヴンは招かれていない。
スティーヴンの『ハムレット』論は、シェイクスピアの生涯に照らして『ハムレット』を読み『ハムレット』を手がかりにシェイクスピアの生涯を推測するという相互依存的な解釈。その骨子は、(1)シェイクスピアの心情は王子ハムレットにではなく・父王ハムレットの亡霊に投影されていること。および王子ハムレットは幼くして死んだ彼の息子ハムネツトの、王妃ガートルードは妻アンの投影であること。(2)彼は年上のアンに誘われ征服されたために性的劣等感につきまとわれていること。(3)その妻アンは彼の弟リチャードと密通していること。(4)孫娘の誕生をきっかけに和解の兆しが生れるが、晩年ストラトフォードに帰ってからも夫婦のしこりは消えなかったことなど、当時の伝記的研究を織りまぜたもので、スティーヴンの固定観念から生れた解釈というべきもの。ちりばめられているシェイクスピアの引用は、多くは自分の文脈にあわせて適当に拾ったもので、必ずしも原典の意味と対応していない。マリガンが途中から加わって、スティーヴンの説に嘲笑的な評をさしはさむ。ブルームが図書館に来て、広告の文案のため地方の新聞を調べている。
器官:脳 学芸:文学 象徴:ストラトフォード、ロンドン 技術:弁証法 神話的対応:恐るべき怪物スキュレに対応するのはアリストテレス、神学、そしてストラトフォード。魔の淵カリュブディスに対応ずるのはプラトン、神秘主義、そしてロンドン。ユリシーズ(オデュッセウス)に対応するのはスティーヴン。ユリシーズがスキュレの航路を選ぶように、スティーヴンはアリストテレスを好む。AEやエグリントンがプラトンを好むのと違って。
第10挿話 Wandering Rocks
場所:市街
時刻:午後3時
19の断章によって市内所々方々の通りと市民たちの生態を扱う。(1)アーテインの孤児院へ向うジョン・コンミー神父。(2)北ストランド道路の葬儀屋コー二ー・ケラハー。(3)エクルズ通りで物乞いする一本足の水兵。(4)デタラス家の三人娘。(5)グラフトン通りの花と果物店でモリーに士産を買うポイラン。(6)トリニティ・カレジ前で立ち話するアルミダーノ・アルティフォーニとスティーヴン。(7)ドリアー通りにあるポイランの事務所のミス・ダン。(8)歴史をさぐるヒューニフヴ師に聖マリア修道院の会議室跡を案内するランパート。(9)グランフトン・コートからウェリントン河岸へ歩くレネハンとマッコイ。(1O)マーチャンツ・アーチの本屋で本を探すブルーム。(11)ディロン競売場前のサイモンと娘のディリー。(12)日時計台からリフィー川へ歩くトム・カーテン。(13)ベッドフォード通りの本屋で立ち話をするスティーヴンとディリー。(14)下オーモンド河岸のサイモンとカウリーとドラード。(15)総督府を出てキャヴァナの酒場へ向うマーティン・カニンガムたち。(16)デイム通りのD・B・Cでのマリガンとヘインズ。(17)メリオン広場近くのアルティフォー二、ファレル、盲目の若者。(18)ウィクロー通りからナッソー通りを歩くディグナムの息子。(19)フィーニックス公園の公邸を出てボールズブリッジの慈善市へ向うアイルランド総督の騎馬行列。19の断章は挿入節(主筋と時間的には同時的だが空間的には離れている)によって中断される。ときどきブルームとスティーヴンを見かけるが、彼らはどちらもごく普通の市民なみに扱われている。
器官:血液 学芸:機械学 象徴:市民 技術:迷路 神話的対応:リフィー川はポスフォラス海峡に、市民たちは『オデュッセイア』第十二歌のプランクタイ(さまよう岩々)に対応する。
第11挿話 Sirens
場所:オーモンド・ホテルのバー
時刻:午後4時
序曲の部分が終ると、本舞台であるホテルのバー(そこでは女給二人がしゃべり、やがて特別室のピアノをサイモン・デタラスが弾く)の外、街のなかを、ブルームが歩いている。彼は二輪馬車に乗っているポイランを見かけ、あとを追う。ポイランはホテルのバーで酒を飲み、レネハンと話し、プルームは隣接する食堂で林檎酒を飲み、レバーとベーコンのフライを食べる。隣りの席にはリチー・グールディング。レネハンは女給の二人にせがんで、「打ち鳴らせ鐘を!」というエロチックな芸をさせる。約束の4時になるのでポイランが退席する。特別室でベン・ドラードが「恋と戦争」を歌い、サイモンが「夢のように」を歌う。カウリー神父が伴奏する。音楽に陶酔しながらブルームはポイランとモ
リーの情事を想像して苦悩し、それからマーサヘの手紙を書く。ベン・ドラードがみんなにすすめられて歌う「クロッピー・ボーイ」といりまじって、ポイランがブルームの家のドアをノックする音、盲目の少年が置き忘れた音叉を取りに来る杖の音。ブルームは自分には息子がいないことを思い出し、もう遅すぎると考える。「クロッピー・ホーイ」が終るころ立ちあがった彼は河岸を上流のほうへと歩きながら(ここで本舞台の外になる)、おならがしたくなり、ちょうど頭に浮かんだアイルランドの愛国者エメットの最後の言葉のおしまいの語「終れり(ダン)」に合せて一発鳴らす。
器官:耳 学芸:音楽 象徴:パーの女給 技術:カノン形式によるフーガ 神話的方法:酒場の女給二人が『オデュッセイア』のセイレン(近づく者をその歌声で魅惑して破滅させる魔女たち)に当る。そしてこの挿話全体の音楽的文体が彼女らの歌声を連想させる。
主要人物 ヒュー・ポイラン Hugh Boylan
広告業者兼興行師。ブレイゼズ B1azes (「派手」「猛烈」など)という緯名がある。独身で様子がよく、裕福。女にもてる。かねがねモリーに関心があったが、今月25日にベルファストでモリーも歌う演奏会を企画し、その相談にかこつけ、今日の午後4時(ちょうどこの時刻!)ブルーム家を訪ねるという手紙を出した。意図は明らかだし、そして彼はモリーと関係する。
第12挿話 Cyclops
場所:酒場
時刻:午後5時
ブルームはカニンガムとパワーに会うため、キアナンの酒場へ行く。そこでは男たちが「市民」という緯名の名物男を囲んで酒を飲んでいる。彼らのなかの一人は、こげついた貸金の取りたて屋。ブルームは彼らに加わるが、酒は飲まない。ブルームは市民の機嫌をそこねて、からまれる。これは三つの原因が重なった結果で、第一に、ブルームはユダヤ人であり、市民は大のユダヤ人嫌いであるため。次に、市民が口にするナショナリスティックな議論にブルームが同調せず、おだやかにではあるが反論を述べたせい。第二に、ブルームがゴールドカップ・レースで大穴を当てたと市民は誤解していて、それなのに(当然のことだが)彼がみんなに酒をおごらないから。市民は立ち去るブルームを追いかけてビスケットの空缶を投げつけるが、彼はあやうく助かり、市民に向って啖呵を切る。この挿話は違う語り手による二種類の語りを交互に組み合せて出来ている。主筋を語るのは「おれ」と名のる取り立て屋。もう一人は、「おれ」の話に触発されてそのパロディを作り、傍白のようにして述べる謎の人物。
器官、筋肉 学芸、政治 象徴:フィニア会 技術:巨大化 神話的対応:市民が『オデュッセイア』第九歌のキュクロプス(一つ目の巨人)に対応する。
主要人物
市民 The Citizen
姓名不詳。酒場の常連で熱烈なナショナリスト。古代ケルトに憧れ一切のイギリス的なものに反抗。外国人嫌い。ギャリオーエンという犬を連れている。この犬の飼主はキルトラップで、ガーティ・マグダウェルの祖父。そこで市民はガーティの父である可能性もある。アイルランド・スポーツの復興に熱心だったマイケル・キューサックがモデル。
「おれ」という語り手("I"-narrator)
姓名不詳、貸金の取立て屋。これは当時のタプリンで非常に軽蔑されていた職業。警察への協力者が多かった。
第13挿話 Nausicaa
場所:海岸
時刻:午後8時
カニンガムおよびパワーと同行してパデイ・ディグナムの未亡人を訪ねたブルームはいまサンディマウント海岸(朝はスティーヴン・デタラスが歩いた)に腰をおろし、休んでいる。北国の夏の8時なのでまだ明るい。三人の娘たちが子供たちを連れて遊びに来ている。その一人、ガ一ティ・マグダウェルは、他の二人の娘たちからやや離れているのだが、若い恋人との結婚について夢想しているうちに、中年の紳士が自分をじっと見ていることに気づく(これがブルーム)。遠くで花火があがると、ガーティはそれを見ようとして振り仰ぐのに事よせ、スカートの奥の下着を彼に見せて気を惹く。彼はそれを見まもりながら手淫を行なう(手淫をしていることをガーティは知っている)。娘たちと子供たちが立ち去るとき(ここまでは視点をガーティに置いての叙述で、女性雑誌に載る小説の文体で書く)、ブルームは、ガーティが足を引きずって歩くのを発見する(ここからはブルームの内的独自が中心)。足が不自由なのだ。ブルームは女たち、殊にモリーとポイランの情事について考えながら射精し、ガーティについて、モリーについて、ミリーについて思う。それから自分が持っている石鹸の匂いをガーティの香水の匂いが漂っていると錯覚して、匂いについて思う。やがてほの暗くなり蝙蝠が飛びまわる。遠くの司祭館のマントルピースの上で鳩時計がクックー、クックー、クックーと鳴る。
器官:目、鼻 学芸:絵画 象徴:処女 技術:勃起、弛緩 神話的方法:ガーティが『オデュッセイア』第六歌の王女ナウシカア(漂着して眠っていたオデュッセウスを助け、着物と食物を与える)に対応する。
主要人物 ガーティ・マクダウェル Gerty MacDowell
中流下層の家庭の娘で、高い教育を受けていない。感傷的で夢想家。処女。足に障害がある。父は酒癖が悪く、母を殴る。祖父は「市民」が連れていた犬、ギャリオーエンの飼主だから、父はあの酒場の常連、市民と呼ばれる男かもしれない。
第14挿話 Oxen of the Sun
場所:病院
時刻:午後10時
ブルームはミセス・ピュアフォイの難産が気がかりなので、ボリス通りの産婦人科病院に立ち寄る。医師のディクソンに誘われて、医学生たちが酒を飲んでいる部屋に行くと、スティーヴンもいる。ディクソンはミセス・ピュアフォイの病室へ去るが、他の者はビールを飲みながら、ペダンティックな冗談を言い合う。ただしブルームはしらふである。ジョージ・ムーアの家のパーティーから来たマリガンも加わる。俄雨が降って、日照りつづきが終り、稲妻そして雷。若者たちの話の主題は、性的体験、避妊、手淫・妊娠・出産など。この間ブルームはスティーヴンに注目しつづけ、自分はもう再び息子を持つことはできないと思う。ミセス・ピュアフォイの男子出産が告げられ、若者たちはみな、バークの酒場へと駈け出す。ブルームもスティーヴンのことが気がかりでついて行く。この挿話の場合はとりわけ、書き方が重要である。ここは、(1)古代英語からマロリー『アーサー王の死』、デフォー、マコーレイ、ペイターなどを経て現代の話し言葉に至る英語散文文体史のパロディ(そしてパスティーシュ)で書かれている。さらに、(2)九か月にわたる人問の妊娠期問のリズムを示しているとジョイスは言う。
器官:子宮 学芸:医術 色彩:白 象徴:母 技術:胎生的発展 神話的対応:産婦人科病院は『オデュッセイア』第十二歌の太陽神の島、トリナキエ。病院長ホーンは太陽神。看護婦は太陽神の娘たち。そしてトリナキエに上陸した際、オデュッセウスが乗組員たちに対し、牛に害を加えるなど命じたのに彼らが殺した牛に当るのは、生殖カあるいは
豊饒である。
第15挿話 Circe
場所:夜の町
時刻:午後12時
バークの酒場を出ると、スティーヴンとリンチは夜の町と呼ばれる娼家街へ来た。ブルームはスティーヴンの泥酔ぶりが心配で二人を追って来たが、夜の町の入り口で彼らの姿を見失う。彼は電車に礫かれそうになり、ここから幻覚がはじまる。[幻覚:ブルームの死んだ父が現れて彼を叱る。死んだ母。妻のモリー。娼婦であるガーティ・マグダウェル、ミセス・ブリーン。] 路上のブルーム。彼は犬に食べものを与える。[幻覚:ブルームは一人の巡査に不審尋問され、いくつかの偽名を申し立てる。マーサによる告発。裁判にかけられ、女中のメアリ・ドリスコル、上流婦人たちが証人となって彼を責める。] ブルームは、とある娼家で誰かがピアノを奏いているのに気づく。若い娼婦ゾーイーが出て来て招じ入れる。ベラ・コーエンの娼家である。[幻覚:ブルームはタプリン市長になり、皇帝レオポルドー世として戴冠式をあげる。メシアとしての彼。彼の没落。] 娼家のなか。ブルーム、スティーヴン、リンチ、娼婦たち。[幻覚:世界の終り]ゾーイーとリンチ。[幻覚:ブルームの祖父ヴィラーグ・リポティが現れ、性的雑学を講義。]
リンチとスティーヴン。[幻覚:スティーヴンが枢機卿になる。] 娼家の女主人ベラ・コーエンが登場。[幻覚:ブルームの性的自己呵責。彼の性転換。] ブルームがじゃがいもを取り戻す。スティーヴンが金を払い、ブルームが残りの金をあずかる。[幻覚:寝取られ亭主としてのブルーム。ボイランとモリーの声に聞き耳を立てるシェイクスピア。]
スティーヴンが芸をする。[幻覚:父サイモン。猟犬の群。ダンス。母の亡密が現れ、緑色の蟹がスティーヴンの心臓に鋏を突き立てる。母がスティーヴンのために祈る。] スティーヴンがトネリコのステッキでシャンデリアを打つ。ランプが壊れた。スティーヴンが逃れ去る。ブルームは1シリンダを置き、出て行く。[幻覚:雑多な群衆が叫びながら彼を追う。] ブルームがビーヴァー通りの角まで来ると、スティーヴンが兵隊たちと争っている。[幻覚:エドワード七世が現れる。悪魔の理髪師ランポールドが現れる。] [幻覚:ダブリン炎上、黒ミサ。] リンチがスティーヴンを見捨てて立ち去る。兵隊の一人がスティーヴンを殴る。彼は地上に横たわる。ブルームが助ける。警官たちの到来。たまたま葬儀屋のケラハーが来たので、ブルームは彼に頼んで警官と話をつけてもらう。ブルームは倒れているスティーヴンを見まもる。[幻覚:スティーヴンが十歳のルーディになる。]
この挿話は戯曲体で書かれた夢幻劇である。怪奇映画のシナリオに近いとも言える。現実と幻覚とを分けたが、これは便宜上のことで、実際はもっと混沌としているし、どの登場人物が幻覚を見ているのか特定しにくい場合もある。すなわち複合的人物の内的世界。小説諭的に言えば、幻覚の主体の最も重要な者は、この劇場の観衆としての読者である。読者がこのカーニヴァルに参加している。
器官:脚 学芸:魔術 象徴:娼婦 技術:幻覚 神話的対応:『オデュッセイア』第十歌の魔女キルケ(オデュッセウスの部下たちを豚に変じたが、オデュッセウスに敗れて彼らを元の姿にした)はベラに対応する。
第16挿話 Eumaeus
場所:御者溜り
時刻:午前1時
ブルームはスティーヴンを助け起し、リフィー川のほとりの御者溜りへ連れて行く。この喫茶店の主人、山羊皮は、かつてフィーニックス公園暗殺事件の関係者だったと噂される人物。ブルームはそこでコーヒーと甘パンを注文するが、スティーヴンは食べない。老船員が法螺話をはじめる。御者の一人の語るパーネル帰国説がきっかけで、ブルームはパーネルの姦通事件を思い出し、オシェイ夫人からの連想で、スティーヴンにモリーの写真を見せて紹介する。これは単なる女房自慢なのか。それともこの優秀な若者と妻とのあいだを取りもとうという下心のせいか。それとも欲求不満の妻のためにこの若者を選んでやるというつもりか。疲れ果てて酔っているスティーヴンは、なにしろ他に行く所がないので、ブルームについて行く。道みち二人は音楽について語るが、スティーヴンが古いドイツの民謡を数小節歌うと、ブルームはそのすばらしいテノールに驚き、この若者が歌手として成功することを夢想する。文体は勿体ぶっていて、まわりくどく、常套旬が多い。
器官:神経 学芸:航海術 象徴:船員 技術:語り(老人の) 神話的対応:ブルームが、豚飼のエウマイオスを訪ねるオデュッセウスに当る。しかしまた、オデュッセウスは変装していて作り話を語るから、彼のこの面を老船員が引き受けているとも言える。山羊皮はエウマイオスに対応する。そしてスティーヴンはもちろんテレマコスに。
第17挿話 Ithaca
場所:エクルズ通り7
時刻:午前2時
ブルームはスティーヴンを同行して帰宅するが、鍵を持って出るのを忘れたため柵を乗り越えて半地下エリアに降り、台所のドアからはいる。それからスティーヴンを台所へ案内してココアを飲ませ、二人は共通の知人、古代ヘブライ語と古代アイルランド語などについて語りあう。スティーヴンは促されて物語詩を歌うが、それはどういうわけかユダヤ人をからかう唄で、しかしブルームは不機嫌にならない。スティーヴンは、夜の宿を提供するという申し出を辞退する。スティーヴンがモリーにイタリア語を、モリーが彼に声楽を教えるという約束がなされる。二人は庭に出て星空を眺め、ブルームの家に明りがともっているのを見てから、並んで小便をする。二人は彗星を観察する。スティーヴンは去る。屋内に戻ったブルームは家の様子を改めて見わたし、一日の収支決算を心のなかでまとめ、服をぬぎ、もしも大富豪であったらどういう豪著な生活をするかを夢想し、寝間着に着かえ、ベッドを整え、モリーのそばに逆方向に横たわり、新しいシーツの上に姦通の痕跡を認め、ポイランを羨望し、嫉妬し、諦め、平静になったのち、モリーの尻にキスし、目覚めた彼女に今日一日のことを多少の省略をほどこしながら報告し、とりわけスティーヴンについて詳しく語り、それから眠りにつく。
文体は、衒学的な多綴語を多用した極めて抽象的な言葉づかいによる問答で書かれているが、誰かわからない二人の学者による質疑応答が、一見客観的で正確で、それゆえまことに滑稽な効果をあげる。
器官:骨格 学芸:科学 象徴:彗星 技術:教義問答(非個人的) 神話的対応:ブルームが柵を越えて帰宅するのは変装したオデュッセウスがあれこれ苦心して帰るのに似ている。これは第18挿話で語られることだが、彼が暴力によってではなく寛大さによってポイランに勝つ(?)のは、オデュッセウスがペネロペイアの求婚者たちをみな殺しするのに当る。
第18挿話 Pene1ope
場所:寝室
時刻:午前2時半
ブルームが帰って来て、今日一日のことを話してから、彼は眠りにつく。この夫婦はベッドで、夫の頭のそばに妻の足があり、妻の頭のそばに夫の足、という姿勢で寝ている。モリーは眠らないで考える。まず夫が、明日は普段のように夫が妻のベッドヘ朝食を持って来るのでなく、彼がベッドで朝食(卵を二つつけて)を食べたい、と言ったことに驚く。これはどういう意味?と。以下モリーが、センテンスの切れ目のない女っぽい考え方で思うことは、彼女のこれまでの人生、およびブルームの(彼女の知るかぎりの)これまでの人生のすべて。後者から言えば、彼がモリーと知り合ったころのこと、彼の言い寄り方、彼との暮し、彼の滑稽な性格、彼の職歴、彼の父の死、彼の性生活などについて。そして前者については、ジブラルタルでの母親のいない娘としての寂しい暮し、子供たちとの遊び、借りた本、はじめての恋人マルヴィ大尉、ダブリンでの恋人ガードナー中尉、医者や神父の思い出、歌手としての思い出、ポイランとの今日の午後の情事、彼がブルームの与えてくれなかった性的満足を味あわせてくれたこと、次に会うことへの期待、ブルームが連れてきたスティーヴンという青年についての夢想、彼と親しくなりたいという欲求。そしてやがてポイランの粗野な態度、下品さへの批判、ブルームの優しさの確認、ポイランとの関係はこれきりにしようという決心、ブルームがホースの丘で結婚申し込みをした日の
O と Yes
のいりまじる思い出、そして彼女がブルームに許す Yes
で終るのだが、このYesはずいぶん多義的で混沌としている。それはブルーム夫妻が正常な夫婦関係を取り戻すことの予兆であるよりもむしろ、一切の女性的なものの肯定かもしれない。
この挿話は八つのパラグラフで出来ていて、アポストロフィーもカンマもなく、フルストップは二つあるだけ。そしてこの挿話で実際に起ることは、ほとんど、モリーの月経がはじまってすこしのあいだヘッドから離れることだけ。
器官:肉 学芸:なし 象徴:大地 技術:独白(女の) 神話的対応:ホメロス『オデュッセイア』のペネロペイアは貞節だが、不貞であったという伝説もある。このペネロペイアの両面をモリーはあわせ持つ。

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