
He hacked through the fry on the dish and slapped it out on three
plates, saying: 350
-- In nomine Patris et Filii et Spiritus Sancti.
Haines sat down to pour out the tea.
-- I'm giving you two lumps each, he said. But, I say, Mulligan, you do
make strong tea, don't you?
Buck Mulligan, hewing thick slices from the loaf, said in an old
woman's wheedling voice:
-- When I makes tea I makes tea, as old mother Grogan said. And when I
makes water I makes water.
-- By Jove, it is tea, Haines said.
(訳)彼は卵焼きを皿の上で切って、三枚の皿にぺたっと放り込んで言った。
「父と子と聖霊の御名において。」
ヘインズは腰を下ろしお茶を注いだ。
「砂糖は二つずつ入れるよ。でも、マリガン、君は本当に濃いお茶を入れるんだね。」
マリガンはパンを厚く切りながら老婆の猫なで声を真似て言った。
「わたしゃ、お茶を入れるときにはちゃんとお茶を入れますよ。グローガン婆さん言いぐさじゃないけれど。それから、おしっこをするときにはちゃんとおしっこをするんですよ。」
「有り難いことに、こいつはお茶だ。」とヘインズが言った。
* "In nomine ・・・" は "ラテン語で "In the name of the Father and the son and the Holy Spirit." の意。食事の前など、よく出てくる表現なのでこのくらいは覚えておきましょう。
"When I makes tea・・・" は、マリガンが老婆の声色で、「お茶お入れる(make tea)」と「おしっこをする(make water)」をひっかけて言っている。
"old mother Grogan" はアイルランドの俗謡に出てくるちょっと的はずれなことを言う人物。
"By Jove" の Joveは "Jupiter" の変形で、"By God" と同じような意味になる。
Buck Mulligan went on hewing and wheedling: 360
-- So I do, Mrs Cahill, says she. Begob, ma'am, says Mrs Cahill, God send
you don't make them in the one pot.
He lunged towards his messmates in turn a thick slice of bread,
impaled on his knife.
-- That's folk, he said very earnestly, for your book, Haines. Five lines of
text and ten pages of notes about the folk and the fishgods of Dundrum.
Printed by the weird sisters in the year of the big wind.
(訳) バック・マリガンは切りながらなおも猫なで声で続けた。
「そうなんでございますよ、カヒルの奥様。と婆さんは言う。まあ、奥様。とカヒルの奥さん。
お願いですから、ひとつの容れ物になさりませんように。」
彼は順番に厚く切ったパンを一切れずつナイフに刺して食事仲間に突き出した。
「君の本に書くにはお誂え人たちだよ。」と彼はまじめくさって言った。「ダンドラムの民と魚神について、テクスト5行に注釈10ページ。大風の年、魔女により印刷。」
* "God send ・・・" は「(神が)許す、・・たらしめる」と言った意味で使われるが、目的語の後に補語を取るのが一般的。ここは節をとっているので文法的にはやや破格。
"in one poto" は chamber pot(溲瓶)と tea pot を引っかけて one pot と言っているのだが日本語ではうまいしゃれが思い当たらないので「容れ物」とした。
ヘインズはアイルランドの民話・民謡などを勉強しにダブリンに来ているらしく「君の本にはお誂えだ」と言うのはそのため。
"Dundrum" という地名は、ダブリン郊外の住宅街と北アイルランドの County Down にある漁村の二つが考えられるが、ここでは両方にかけてあると考えた方がよいのではないか。
"fishgod" についてはギフォードはアイルランドの古い伝説に出てくる、海底に住む巨人 Formorians を連想させると述べているが、ここでは特に限定する必要はないように思われる。この "fishgod" との連想で言えばダンドラムはダウン州の漁村ととれるだろう。
"Printed ・・・"はもちろん元々はマクベスの魔女を連想させるが、更にイェイツの妹たちの出版社 Dun Emer Press(後に Cuala Press と改名)が最初の出版物としてイェイツの In the Seven Woods を出版した際その奥付に "the sixteenth day of July in the year of the big wind, 1903" と記しており、このこととの連想も明らかに見られる。そのこととの繋がりで言えば、ダンドラムはダブリン郊外のダンドラムと考えられる。
He turned to Stephen and asked in a fine puzzled voice, lifting his
brows:
-- Can you recall, brother, is mother Grogan's tea and water pot spoken of 370
in the Mabinogion or is it in the Upanishads?
-- I doubt it, said Stephen gravely.
-- Do you now? Buck Mulligan said in the same tone. Your reasons, pray?
-- I fancy, Stephen said as he ate, it did not exist in or out of the
Mabinogion. Mother Grogan was, one imagines, a kinswoman of Mary
Ann.
Buck Mulligan's face smiled with delight.
-- Charming! he said in a finical sweet voice, showing his white teeth and
blinking his eyes pleasantly. Do you think she was? Quite charming!
(訳) 彼はスティーブンの方を振り向いて、眉をつり上げ上品ぶった訝しげな声で尋ねた。
「して兄弟修道士、グローガン婆さんのお茶けんおしっこのポットの件はマビノギオンに述べられていたものか、それともウパニシャドに述べられていたものか、覚えておいでかな?」
「そいつはどうも疑わしいですぞ。」スティーブンは真面目くさって答えた。
「そうお考えか?」とマリガンは同じ調子で言う。「それではその理由を是非お聞かせ願いたい。」
「どうも」とスティーブンは食べながら言った。「マビノギオンの中にも外にもなかったようですが。思うに、グローガン婆さんはメアリー・アンの親戚だったのではありますまいか。」
バック・マリガンの顔が嬉しそうに微笑んだ。
「そいつは素晴らしい。」と彼は白い歯を覗かせ、眼を嬉しそうにパチクリさせながら、やけに気むずかしそうな甘ったるい声で言った。「そう思われるのか?全く素晴らしい。」
* マリガンがスティーブンに "brother" と呼びかけているのは、修道士同士が衒学的な話をしているところを真似ているから。"Mbinogion" は有名なウェールズの中世騎士物語集。
"Upanishad" は古代インド、ヒンドゥー教の哲学書。
Mary Ann は次の歌に出てくるが、"Mick McGilligan's Daughter, Mary Ann"というアイルランドの歌に出てくる男のように振る舞う女性。
Then, suddenly overclouding all his features, he growled in a 380
hoarsened rasping voice as he hewed again vigorously at the loaf:
-- For old Mary Ann
She doesn't care a damn.
But, hising up her petticoats ....
(訳)それから突然表情を曇らせて彼は嗄れた唸り声で歌いながら、また威勢よくパンを切り始めた。
「というのも、みなさんお馴染みのメアリー・アンはこれっぽちも気にせずにペチコートを引っ張り上げて・・・」
* ここで難しいのは "hising”。辞書には出ていなかったでしょ。これは "hoising"と言うべきところをアイルランドの発音にあわせて "hising" と表記しているので。 "hoise"と読めばよいところ。
He crammed his mouth with fry and munched and droned.
The doorway was darkened by an entering form.
-- The milk, sir!
-- Come in, ma'am, Mulligan said. Kinch, get the jug.
An old woman came forward and stood by Stephen's elbow.
-- That's a lovely morning, sir, she said. Glory be to God. 390
-- To whom? Mulligan said, glancing at her. Ah, to be sure!
Stephen reached back and took the milkjug from the locker.
-- The islanders, Mulligan said to Haines casually, speak frequently of the
collector of prepuces.
-- How much, sir? asked the old woman.
-- A quart, Stephen said.
(訳)彼は口に卵焼きを詰め込んで、むしゃむしゃ食べながら一節唸った。
入り口が入ってくる人影で暗くなった。
「ミルクでございます。」
「入ってくれ、婆さん。」マリガンが言った。「キンチ、ミルク差しを持ってきてくれ。」
老婆は前に進み出てスティーブンの傍らに立った。
「今朝はとてもよいお日和でございますね。」と彼女は言った。「神様のお陰さまで」
「誰のお陰だって?」マリガンが彼女をちらりと見て言った。「あー、まったくだ。」
スティーブンは後ろに手を伸ばし戸棚からミルク差しを取った。
「この島の人間は」とマリガンはさり気ない様子でヘインズに言った。「しょっちゅうあの包皮の収集家のことを口にするのさ。」
「如何ほどにいたしましょうか。」と老婆が尋ねた。
「1クウォートたのむ。」とスティーブンが答えた。
* 特に難しいところはないが、"The collecter of prepuces"とは、ユダヤ人が戒律により割礼を施すところから、(旧約の)神をさす。マリガンがふざけて言っているので、まあここでは "God"と解釈しておけばよい。1クウォートは1リットルちょっと。
He watched her pour into the measure and thence into the jug rich
white milk, not hers. Old shrunken paps. She poured again a measureful
and a tilly. Old and secret she had entered from a morning world, maybe a
messenger. She praised the goodness of the milk, pouring it out. Crouching 400
by a patient cow at daybreak in the lush field, a witch on her toadstool, her
wrinkled fingers quick at the squirting dugs. They lowed about her whom
they knew, dewsilky cattle. Silk of the kine and poor old woman, names
given her in old times. A wandering crone, lowly form of an immortal
serving her conqueror and her gay betrayer, their common cuckquean, a
messenger from the secret morning. To serve or to upbraid, whether he
could not tell: but scorned to beg her favour.
(訳)彼は老婆が濃く白いミルクを一旦升に注いでそれからミルク差しに注ぐのをじっと見つめた。この婆さんの乳じゃない。おいて萎びた乳房。彼女はまた升に一杯とおまけにちょっと注いだ。年老いて密やかに朝の世界から入ってきた。もしかしたら、何かの使者なのかもしれない。彼女はミルクを注ぎながらその上質なことを自慢した。夜明け方青々とした野原で忍耐強い牛の傍らに屈み込んで、毒キノコの蝦蟇の腰掛けに腰を下ろした魔女、その皺だらけの指が、乳を迸らせる乳房で素早く動く。お馴染みの老婆の周りでモーと泣く、露に光り絹のようになめらかな牛たちが。雌牛のなかの絹、哀れな老女。彷徨えるしわくちゃの老女。昔彼女に与えられた名前だ。支配者と陽気な裏切り者に仕える不死のものが身をやつした姿。どちらにも男を寝取られた女。秘めやかな朝からの使者。仕えるために来たのか、避難するために来たのか、彼には分からなかったが、彼女に好意を請うことは潔しとはしなかった。
* ", not hers. Old shrunken paps." の部分は Quoted Monologue。文章の終わりや途中でカンマ、コロン、セミコロン等で Quoted Monologue が入ることもしばしばあるので注意が必要。
その後は "She praised・・・"と最後の "To serve ・・・"の二つのセンテンス以外は全て Quoted Monologue。
ここで特に注意が必要は、"Silk of the kine and poor old woman, names given her in old times."とあるように、 "poor old woman" というのが古くからのアイルランドの呼称であることから、このミルク売りの老婆の姿にスティーブンがアイルランドの象徴を見ている点だ。それが分からないとこの部分は何を言っているのか全く理解できなくなる。対応関係を見ると、"her conqueror" は英国人であるヘインズ及びアイルランドを支配する英国、"gay betrayer" は英国人のヘインズにおもねるマリガンでありまた、アイルランド人でありながら英国の支配の片棒を担ぐ者を暗示していると思われる。
-- It is indeed, ma'am, Buck Mulligan said, pouring milk into their cups.
-- Taste it, sir, she said.
He drank at her bidding. 410
-- If we could live on good food like that, he said to her somewhat loudly,
we wouldn't have the country full of rotten teeth and rotten guts. Living in
a bogswamp, eating cheap food and the streets paved with dust, horsedung
and consumptives' spits.
-- Are you a medical student, sir? the old woman asked.
-- I am, ma'am, Buck Mulligan answered.
-- Look at that now, she said.
(訳)「全くその通りだ、おかみさん。」とバック・マリガンはミルクをみんなのカップに注ぎながら言った。
「味わってくださいまし。」と彼女が言った。
彼は言われるままにミルクを飲んだ。
「もし、我々がこういう上等な食べ物だけを飲み食いして生きていれば、」と彼は幾分声を張り上げて彼女に言った。「国中腐った歯と腐った腸ばかりにならずに済むのになあ。それが、じめじめした沼地に住んで、安い食い物を食って、通りにはゴミと馬の糞と肺病やみの痰ばかりときているんだから。」
「おたくは医学生さんで?」老婆が尋ねた。
「そうだよ。おかみさん。」バック・マリガンが答えた。
「ああ、やっぱり。」彼女が言う。
* 特に問題はないでしょう。 "Living・・・"は不完全な文章だが、"We are"とでも補っておけばよいでしょう。
"Look at that now" は、「それを見なさい」「それ見ろ」といった感じで、やっぱり言った、或いは、思った通りでしょ、といった意味になる。
Stephen listened in scornful silence. She bows her old head to a voice
that speaks to her loudly, her bonesetter, her medicineman: me she slights.
To the voice that will shrive and oil for the grave all there is of her but her 420
woman's unclean loins, of man's flesh made not in God's likeness, the
serpent's prey. And to the loud voice that now bids her be silent with
wondering unsteady eyes.
(訳)スティーブンは軽蔑をして無言で聞いていた。彼女は大きな声で語りかける声の方に老いた頭を下げる。彼女の骨接ぎ、呪い師に。僕のことは軽んじて。告解を聴き、男の肉体より神に似せずに創られた女の不浄な腰、蛇の餌食、を除く彼女の全身に終油を塗ってあげようという声に。今彼女に黙るようにと命じる大声に頭を下げる。訝しげなおどおどした目つきで。
* "her bonesetter, her medicineman" とはもちろん医学生であるマリガンのこと。彼女はマリガンやヘインズには諂い、みすぼらしい喪服を着た自分は軽んじられていると感じている。
"oil for the grave" は死の準備のために油を塗るというのだから、"anoint"(終油を塗る)ということ。
"her woman's loin"とは、キリスト教では女性の '腰' は不浄と考えられているから。
また、"of man's flesh・・・"の "of man's flesh"は "made" にかかる。創世記にあるように女性(Eve)は男性(Adam)の肋骨から創られたと言われ、「腰」は神に似せられて創られた男性の肉体とは違う部分であり、蛇に化けた悪魔の餌食になる部分だから不浄なのである。"but"はもちろん 'except' の意。
ここではマリガンが神父に譬えられているが、医者だから人の最期を看取るという連想から来ているのだと思うが、カトリックに服従するアイルランドのイメージも重ねて読むことが出来るだろう。
-- Do you understand what he says? Stephen asked her.
-- Is it French you are talking, sir? the old woman said to Haines.
Haines spoke to her again a longer speech, confidently.
-- Irish, Buck Mulligan said. Is there Gaelic on you?
-- I thought it was Irish, she said, by the sound of it. Are you from the west,
sir?
-- I am an Englishman, Haines answered. 430
-- He's English, Buck Mulligan said, and he thinks we ought to speak Irish
in Ireland.
(訳)「彼が言っていること理解できるかい?」とスティーブンは彼女に尋ねた。
「旦那が話していらっしゃるのはフランス語で?」老婆はヘインズに言った。
ヘインズは彼女にまた自信たっぷりに更に長々と話しかけた。
「アイルランド語さ。」とバック・マリガンが言った。「ばあさんはアイルランド語は喋れるかい?」
「アイルランド語だと思っていたんですよ。」と彼女は言った。「音の響きから。旦那は西から
いらっしゃったんで?」
「僕はイギリス人だよ。」ヘインズは答えた。
「彼はイギリス人なだよ。」とバック・マリガンが言った。「それで、アイルランドではアイルランド語を話すべきだと思っているんだよ。」
* ヘインズはアイルランド語を習っているので、老人だからアイルランド語が話せると思ってちょっといいところを見せようとアイルランド語で話しかけてみたのだろう。アイルランド人はアイルランド語を話すべきだとアイルランド語を奪ったイギリス人であるヘインズが言うのは些か傲慢と言わなければならない。
"Is there Gaeric on you?" というのは、ギフォードによれば、アラン島などの西部地域の農民の方言で "Can you speak Gaelic?" の意味となっているが、アイルランド英語では "there is" で始まる文章がスタンダードな英語では不要なところでもしばしば見られる。これは英語をアイルランド語の文法からの類推で表現したために起こった現象である。また、「be動詞+前置詞」も同様にアイルランド語の文法が英語に適用された結果。アイルランド語は余り動詞の数がなく、この形が多くある。この表現はそのことを知っていれば大体の意味はとれる筈だ。
-- Sure we ought to, the old woman said, and I'm ashamed I don't speak the
language myself. I'm told it's a grand language by them that knows.
-- Grand is no name for it, said Buck Mulligan. Wonderful entirely. Fill us
out some more tea, Kinch. Would you like a cup, ma'am?
-- No, thank you, sir, the old woman said, slipping the ring of the milkcan
on her forearm and about to go.
Haines said to her:
-- Have you your bill? We had better pay her, Mulligan, hadn't we? 440
Stephen filled again the three cups.
-- Bill, sir? she said, halting. Well, it's seven mornings a pint at twopence is
seven twos is a shilling and twopence over and these three mornings a quart
at fourpence is three quarts is a shilling. That's a shilling and one and two is
two and two, sir.
(訳)「まったくそうしませんとね。」と老婆が言った。「わたしゃ自分がアイルランド語を話せないのが恥ずかしいですよ。知っている人に言わせるとたいそう立派な言葉だそうですからね。」
「立派なんてもんじゃない。」とバック・マリガンが言った。全く素晴らしいのさ。お茶をもう一杯入れてくれ、キンチ。お茶でも一杯どうだね、おかみさん。」
「いえ、結構でございます。」老婆は言って、ミルクの缶の輪に腕を入れ、立ち去ろうとした。
ヘインズが彼女に言った。
「請求書はあるのかい?代金を払っといたほがいいだろ、、マリガン。」
スティーブンは3つのカップにまたお茶を注いだ。
「お勘定でございますか。」と彼女は立ち止まって言った。「それでは、1パイント2ペンスで7日だから、7掛け2で、合わせて1シリング2ペンス。それから、この三日は、1クウォート4ペンスで3クウォートだから、1シリング。しめて1シリングと1シリング2ペンスだから、2シリング2ペンスになります。」
* 特に問題はないでしょう。"Fill us・・・"の "us" は前にも出てきたが Anglo-Irish 方言で "me" の意。
最後の老婆の台詞は計算をしているところで be動詞で次から次へと繋ぎ合わされている。
それにしてもこの婆さん計算だけはやけに達者なようだ。
Buck Mulligan sighed and, having filled his mouth with a crust
thickly buttered on both sides, stretched forth his legs and began to search
his trouser pockets.
-- Pay up and look pleasant, Haines said to him, smiling.
Stephen filled a third cup, a spoonful of tea colouring faintly the thick 450
rich milk. Buck Mulligan brought up a florin, twisted it round in his fingers
and cried:
-- A miracle!
He passed it along the table towards the old woman, saying:
-- Ask nothing more of me, sweet.
All I can give you I give.
(訳)バック・マリガンはため息をついて、両側にたっぷりとバターを塗ったパンの欠片を口に詰め込むと、足を前に伸ばしポケットの中を探り始めた。
「払ってすっきりしろよ。」ヘインズは微笑みながら彼に言った。
スティーブンは3杯目をカップに注いだ。スプーンに一杯程のお茶が入ると濃厚なミルクをかすかに色づく。バック・マリガンはフロリン銀貨を一枚引っ張り出すと、それを指先でひねり回して叫んだ。
「奇跡だ!」
彼はそれをテーブルにおいて彼女の方に押しやって、言った。
「これ以上我に求むるなかれ、愛しき人よ。能うる限りを与うればなり。」
* 1フロリンは2シリング。だから、2ペンス足りない。"Ask nothing more・・・" はマリガンが先にも言及した、Swinburne の Songs Before Sunrise (1871) に入っている "The Oblation" の最初の二行。マリガンは2ペンス値切ろうとしているのだ。
Stephen laid the coin in her uneager hand.
-- We'll owe twopence, he said.
-- Time enough, sir, she said, taking the coin. Time enough. Good morning,
sir. 460
She curtseyed and went out, followed by Buck Mulligan's tender
chant:
-- Heart of my heart, were it more,
More would be laid at your feet.
(訳)スティーブンはその銀貨を気乗りの市内老婆の手にのせた。
「2ペンスの借りだ。」と彼は言った。
「何時でも結構ですよ。」と彼女は銀貨を受け取りながら言った。「何時でも結構で。ご機嫌よろしゅう。」
彼女はお辞儀をして出ていった。その後ろをバック・マリガンの優しい歌声が追いかけた。
「愛しい君よ、これ以上にあるならば、そなたの足下に捧げんものを。」
* "Time enough" は「時間はたっぷりある」→「何時でもいい」くらいの意味。最後のマリガンの台詞は先ほどのスウィンバーンの詩からの引用。
He turned to Stephen and said:
-- Seriously, Dedalus. I'm stony. Hurry out to your school kip and bring us
back some money. Today the bards must drink and junket. Ireland expects
that every man this day will do his duty.
-- That reminds me, Haines said, rising, that I have to visit your national
library today. 470
-- Our swim first, Buck Mulligan said.
He turned to Stephen and asked blandly:
-- Is this the day for your monthly wash, Kinch?
(訳)彼はスティーブンの方を振り向いて言った。
「まじめな話、スティーブン、俺はからっけつなんだ。早く学校に仕事行って金を持って帰ってきてくれよ。今日は詩人たちが飲んで騒がなくちゃならない日だからな。アイルランドは本日誰もが自らの義務を果たさんことを期待するものなり。」
「それで思い出したが、」とヘインズが立ち上がりながら言った。「僕は今日国立図書館に行かなくちゃいけないんだ。」
「まずはひと泳ぎだ。」とマリガンは言った。
彼はスティーブンの方を振り向いてもの柔らかに尋ねた。
「今日はお前の月一の身体を洗う日じゃなかったか、キンチ。」
* "stony" はスラングで "stone broke"(「からっけつ、すかんぴん」)。
"Ireland expects ・・・" はネルソン提督がトラファルガーの海戦の前に出した信号
"England expects ・・・"を Ireland に置き換えて捩ったもの。
マリガンがひと泳ぎと言っているのは、暑いからでも、楽しむためでもなく、風呂代わりに泳ぐのである。因みにマーテロータワーには風呂はない。また、すぐ前は Forty Foot というちょっとした水浴び場になっていて、Gentlemen Only と書いてある。従って "wash" というのもここでは文脈上洗濯ではなくて身体を洗うことと取った方がよいだろう。アイルランドの人は今でもあまり風呂には入らないようだ。
Then he said to Haines:
-- The unclean bard makes a point of washing once a month.
-- All Ireland is washed by the gulfstream, Stephen said as he let honey
trickle over a slice of the loaf.
Haines from the corner where he was knotting easily a scarf about
the loose collar of his tennis shirt spoke:
-- I intend to make a collection of your sayings if you will let me. 480
Speaking to me. They wash and tub and scrub. Agenbite of inwit.
Conscience. Yet here's a spot.
-- That one about the cracked lookingglass of a servant being the symbol of
Irish art is deuced good.
Buck Mulligan kicked Stephen's foot under the table and said with
warmth of tone:
(訳)それから彼はヘインズに言った。
「この不潔な詩人は月に一回身体を洗うようにしているのさ。」
「アイルランド中が湾流に洗われているよ。スティーブンはパンに蜂蜜をちょろちょろ垂らしながら言った。
ヘインズが部屋の隅っこから襟元のゆったりしたテニスシャツにスカーフを軽く結びながら話した。
「もし許してもらえるなら君の名言集を作るつもりなんだけど。」
僕に話している。奴等は風呂に入り洗ってこする。良心の呵責。良心。まだ染みがあるぞ。
「あのひび割れた召使いの鏡がアイルランド芸術の象徴だっていうのは全く傑作だよ。」
バック・マリガンがテーブルの下でスティーブンの足を蹴って、熱のこもった口調で言った。
* "Speaking to me." から "Yet here's a spot." はスティーブンの Quoted Monologue だが、ここは解釈が難しいところ。まず、"They" は文脈上ヘインズとバック・マリガンを指すと考えられる。二人はこれから海には行って身体を洗おうとしているのだから。それについての言及と解釈できるだろう。
"Agenbite of inwit" は Middle English で remorse of conscience(「良心の呵責」)と言った意味であるが、これは Dan Michel of Northgate の著書 Ayenbite of inwyt (1340) より取ったもの。
また最後の "Yet here's a spot." は気付かれた方も多いと思うがマクベスの5幕1場に出てくるマクベス夫人の言葉で、気が狂ったマクベス夫人が血の染みが残っていると言っているところ。
「良心の呵責」というのは従って先にもスティーブンが考えたようにアイルランドを支配してきた英国人であるヘインズとその片棒を担ぐアイルランド人のマリガンが、その血塗られた支配の歴史に「良心の呵責」を感じ、それを身体を洗うことで消し去ろうとしているということになる。さいごのマクベス>夫人の言葉はスティーブンが自分のことを言っているのではなく、彼らが身体を洗った後でもまだ血の染みが残っていると言っているところを想像していると考えるべきだろう。
一応そう読んでいいと思うが、さらに言えば、"Agenbite of inwit"という表現はこの後も何回か出てくるが、母親のいまわの際の願いを聞かなかったことに対するスティーブン自身の「良心の呵責」という意味で使われているところもある。だから、"Agenbite of inwit"以下は、直接的にはヘインズとマリガンに対する言及であるが、それに自分自身の「良心の呵責」が重ね合わされていると考えられる。
-- Wait till you hear him on Hamlet, Haines.
-- Well, I mean it, Haines said, still speaking to Stephen. I was just thinking
of it when that poor old creature came in.
-- Would I make any money by it? Stephen asked. 490
Haines laughed and, as he took his soft grey hat from the holdfast of
the hammock, said:
-- I don't know, I'm sure.
(訳)「まあ、こいつのハムレット論を聞いてみることだな、ヘインズ。」
「本当にそのつもりなんだよ。」とヘインズがなおもスティーブンに話しかけて言った。「あの哀れな婆さんが入ってきた時丁度そのことを考えていたんだ。」
「それで金になるのかい?」とスティーブンは尋ねた。
ヘインズは笑いそれからハンモックの留め金からグレーの中折れ帽を取って言った。
「そいつは分からんなあ。」
* 前に出てきたようにマリガンがスティーブンにハムレット論を聞かせてヘインズから金をせしめてやれとそそのかしたところを思い出してもらいたい。特に問題はないでしょう。
He strolled out to the doorway. Buck Mulligan bent across to Stephen
and said with coarse vigour:
-- You put your hoof in it now. What did you say that for?
-- Well? Stephen said. The problem is to get money. From whom? From the
milkwoman or from him. It's a toss up, I think.
-- I blow him out about you, Buck Mulligan said, and then you come along
with your lousy leer and your gloomy jesuit jibes. 500
-- I see little hope, Stephen said, from her or from him.
(訳)彼はぶらりと戸口の方に出ていった。バック・マリガンはスティーブンの方へ身体を乗り出して語気を荒げて言った。
「どじを踏みやがって。何であんなことを言ったんだ。」
「えっそうかい。」スティーブンは言った。「問題は金をせしめることだろ。でも誰から?あのミルク売りの婆さんから、それとも奴からか?まあどっこいどっこいじゃないか。」
「俺がせっかくお前のことを吹き込んでいるのに、」とバック・マリガンが言った。「お前がそこにやってきて嫌らしい流し目を飛ばして、いつもの陰険なイエズス会士の嘲りを喰らわすんだからな。」
「見込みはないと思うよ。」とスティーブンは言った。「婆さんからにしてもあいつからにしても。」
* "put you hoof in it" は通常 "hoof" ではなくて "foot" で、「どじを踏む、失敗する」と言った意味。
"toss up" は通常 "toss-up" で、コイン投げと言う意味から「五分五分」「どちらともつかない」という意味。
Buck Mulligan sighed tragically and laid his hand on Stephen's arm.
-- From me, Kinch, he said.
In a suddenly changed tone he added:
-- To tell you the God's truth I think you're right. Damn all else they are
good for. Why don't you play them as I do? To hell with them all. Let us get
out of the kip.
He stood up, gravely ungirdled and disrobed himself of his gown,
saying resignedly:
-- Mulligan is stripped of his garments. 510
He emptied his pockets on to the table.
-- There's your snotrag, he said.
(訳)バック・マリガンは悲劇みたいにため息をついて手をスティーブンの腕に置いた。
「俺からもだよ、キンチ。」と彼は言った。
それから突然口調を変えて付け加えた。
「本当のことをいえばだなあ、お前が正しいと思っているんだ。奴らなんて他に何の役にもたちゃしないんだからな。俺みたいにからかってやればいいじゃないか。みんなくたばっちまえばいいのさ。それじゃあ、出かけるとするか。」
彼は立ち上がり、重々しくひもをほどいてガウンを脱ぎ、諦め声で言った。
「マリガン、衣を剥がれたもう。」
彼はポケットの中身をテーブルにあけた。
「さあ、お前の鼻ふき布だ。」と彼は言った。
* "Damn all" は前にも出てきたが "nothing"の意。"the kip" はここでは、「宿」もしくは古い用法で「売春宿」の意。
"Muligan is stripped of his garments." は the Stations of the Cross (「十字架の道の留」=キリストの苦難を表す14の像と、その前で順次行う祈り。)の "Christ is stripped of his garments." を捩ったもの。
"There's ・・・" はひげを剃るときスティーブンから借りたハンカチを返しているところ。
And putting on his stiff collar and rebellious tie he spoke to them,
chiding them, and to his dangling watchchain. His hands plunged and
rummaged in his trunk while he called for a clean handkerchief. God, we'll
simply have to dress the character. I want puce gloves and green boots.
Contradiction. Do I contradict myself? Very well then, I contradict myself.
Mercurial Malachi. A limp black missile flew out of his talking hands.
(訳)それからこわばったカラーと思い通りにならないネクタイを付けながら、その両方に語りかけ、叱りつけた。それからぶら下がっている時計の鎖にも。両手がトランクの中に突っ込まれなかをくまなく探った。綺麗なハンカチ出てこいと言いながら。まったく、誰しも自分の役柄に相応しい服を身につけなくちゃいけない。僕には茶色の手袋と緑色のブーツがいるな。矛盾。僕は矛盾しているんだろうか。気まぐれなマリガン。ふにゃっとした黒いものがおしゃべりをする彼の手から飛んできた。
* "God, we'll・・・" から "Mercurial Malachi." 間はスティーブンの Quoted Monologue だが、解釈がなかなか難しいところである。"we'll・・・" はマリガンが着替えをしているところから連想し、更に前の所でマリガンがグレーの縞模様のズボンをスティーブンにあげようと言っている箇所(1.117-120)での会話を思い出しながら言っていると考えられる。そこでマリガンは、スティーブンが母親のいまわの際の願いを拒否しながら、一方で未だにグレーの服が着られないことをおかしいのではないかと言っている。また、そこでマリガンは "You'll look spiffing in them." と言っており、ここでの "we'll・・・" はその言葉からの連想でもあろうが、それはそのグレーのズボンを拒否した自分の態度と矛盾することにもなる。
なお、"Do I contradict・・・contradict myself." は Walt Whitman の "Songs of Myself" からの引用。"Mercurial" は形容詞では「気まま、移り気な」と言った意味であり、前にマリガンが自分のことを "I'm inconsequent"(l.235) との連想と、先にも述べたように Malichi もギリシャ神話の使者であるが、Mercury もローマ神話の神の使者であり、その連想もあるだろう。
-- And there's your Latin quarter hat, he said.
Stephen picked it up and put it on. Haines called to them from the 520
doorway:
-- Are you coming, you fellows?
-- I'm ready, Buck Mulligan answered, going towards the door. Come out,
Kinch. You have eaten all we left, I suppose.
Resigned he passed out with grave words and gait, saying, wellnigh
with sorrow:
-- And going forth he met Butterly.
Stephen, taking his ashplant from its leaningplace, followed them out
and, as they went down the ladder, pulled to the slow iron door and locked
it. He put the huge key in his inner pocket. 530
(訳)「それからほらお前のカルチェ・ラタン帽だ。」と彼は言った。
スティーブンはそれを拾って被った。ヘインズが入り口のところから二人に呼びかけた。
「行くのかい、君たち。」
「今行くよ。」とバック・マリガンは入り口の方に向かいながら答えた。「行こうぜ、キンチ。残り物はすっかり食べたろ。」
諦めて、彼は重々しい口振りと足取りで、悲しいとでもいうように喋りながら外に出ていった。
「かくて彼外に出づれば、バタリーに会えり。」
スティーブンはトネリコのステッキを立てかけてあったところから取り、二人の後から外に出た。そして、二人が梯子段を降りている間、閉まりにくい鉄のドアを引っ張って閉め、鍵をかけた。彼は巨大な鍵を内ポケットに入れた。
* "Latin quarter hat" はスティーブンが住んでいたパリの学生街カルチェ・ラタン(Quartier latin: ラテン地区)を捩って言ったもの。("And going forth he met Butterly." は、聖書の「ルカ伝」の"And Peter going out, wept bitterly." を捩ったもの。
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