At the foot of the ladder Buck Mulligan asked:                        531
-- Did you bring the key?
-- I have it, Stephen said, preceding them.
  He walked on. Behind him he heard Buck Mulligan club with his
heavy bathtowel the leader shoots of ferns or grasses.
-- Down, sir! How dare you, sir!
  Haines asked:
-- Do you pay rent for this tower?
-- Twelve quid, Buck Mulligan said.
-- To the secretary of state for war, Stephen added over his shoulder.        540
  They halted while Haines surveyed the tower and said at last:
-- Rather bleak in wintertime, I should say. Martello you call it?
-- Billy Pitt had them built, Buck Mulligan said, when the French were on
the sea. But ours is the omphalos.

(訳)階段の下でバックマリガンが尋ねた。
「鍵は持ってきたか?」
「僕が持っているよ。」スティーブンが前を歩きながら答えた。
  彼は歩き続けた。彼の後ろからバック・マリガンが重いタオルでシダや草の新芽を打つのが聞こえた。
「お座りしなさい。いけません。」
  ヘインズが尋ねた。
「この塔の家賃は払っているのかい?」
「12ポンドだ。」とバック・マリガンが答えた。
「国防長官にね。」とスティーブンが振り返って付け加えた。
  三人は立ち止まり、ヘインズは塔をじっと眺めてから言った。
「きっと、冬はずいぶん寒々としているんだろうなあ。マーテローって言うんだろ?」
「ビリー・ピットがこういうのを立てさせたんだ。」とマリガンが言った。「’フランス軍海にありし頃’にな。でも俺たちのは、世界の臍なのさ。」


* 'Down, sir' は草を犬に見立て「お座り」と言っている。マーテロー・タワーはナポレオン戦争の頃1804年から1806年にかけて英国軍によって建てられた。現在でも、このサンディー・コーブの塔を含め幾つか残っている。家賃は英国の国防長官に払っているが、年額12ポンドというのはかなりの額。スティーブンが学校の臨時教師をして稼いでいる額は月3ポンド12シリングだから約3ヶ月分にあたるわけだ。この家賃を払っているのはマリガンかスティーブンかという問題がしばしば議論されるが、後にその根拠になる部分が出てくるので、その際に論ずることにする。'the secretary of state for war'はもちろん英国の国防長官(こういう言い方でいいのだろうか?)のことだ。尚、このサンディー・コーブのマーテロ・タワーは現在、James Joyce Musium になっている。 (Go to JAMES JOYCE MUSIUM HOMEPAGE)
"when the French were on the sea" は18世紀末のアイルランドのバラッド 'The Shan Van Vocht' (The Poor Old Woman、つまりアイルランドのこと)から取っている。


Martello Tower
Martello Tower


-- What is your idea of Hamlet? Haines asked Stephen.
-- No, no, Buck Mulligan shouted in pain. I'm not equal to Thomas
Aquinas and the fiftyfive reasons he has made out to prop it up. Wait till I
have a few pints in me first.
  He turned to Stephen, saying, as he pulled down neatly the peaks of
his primrose waistcoat:                                         550
-- You couldn't manage it under three pints, Kinch, could you?
-- It has waited so long, Stephen said listlessly, it can wait longer.
-- You pique my curiosity, Haines said amiably. Is it some paradox?
-- Pooh! Buck Mulligan said. We have grown out of Wilde and paradoxes.
It's quite simple. He proves by algebra that Hamlet's grandson is
Shakespeare's grandfather and that he himself is the ghost of his own
father.
-- What? Haines said, beginning to point at Stephen. He himself?

(訳)「君のハムレット論ていうのはどういうものなの?」とヘインズがスティーブンに尋ねた。
「だめ、だめ。」とマリガンが悲鳴を上げた。「とてもトマス・アキナスやら彼が論を支えるのに言い立てた55の理由なんか聞くに堪えなないよ。二三杯ひっかけるまで待ってくれよ。」
 彼は薄黄色のチョッキの端をきっちりと引き下ろしながらスティーブンの方を振り向いて言った。
「ビール三杯くらいじゃあとても話せないよなあ、キンチ」
「ずいぶん長いことおあずけだったんだから、」とスティーブンは気がなさそうに言った。「まだまだ待てるさ。」
「好奇心をそそるなあ。」とヘインズは愛想よく言った。「逆説みたいなものなのかい?」
「へっ!」とマリガンが言う。「俺たちはワイルドやら逆説やらはもう卒業しているのさ。ごく単純なことなんだ。こいつは、ハムレットの孫はシェイクスピアの祖父で、本人自身自分の父親の亡霊だって言うことを代数で証明するのさ。」
「何だって?」ヘインズはスティーブンを指さそうとしながら言った。「このご本人がかい!」


* スティーブンのハムレット論は後に第9挿話 'Scylla and Charybdis' の図書館の場面で語られる。
Thomas Aquinas は13世紀のスコラ哲学の代表的人物で、アリストテレスの哲学をもとに理論を構築している。アキナスはアリストテレス同様ジョイスの作品中しばしば言及される。とりわけ、Stephen Hero でスティーブンは自分の芸術論を 'applied Aquinas' と呼んでおり、Portrait で示されるスティーブンの芸術論にもアキナスの美学の影響が伺える。
"I have a few pints in me first."という表現はスタンダードでは "in me" は不要なところで、アイルランド英語独特の表現。アイルランド語では英語の前置詞+名詞の表現が多用されるため、アイルランド英語の表現にもそこからの類推で多用される。例えば、"Put on your coat."と言うべきところを アイルランドでは "Put your coat on you."と言う。



 Buck Mulligan slung his towel stolewise round his neck and, bending
in loose laughter, said to Stephen's ear:                           560
-- O, shade of Kinch the elder! Japhet in search of a father!
-- We're always tired in the morning, Stephen said to Haines. And it is
rather long to tell.
 Buck Mulligan, walking forward again, raised his hands.
-- The sacred pint alone can unbind the tongue of Dedalus, he said.
-- I mean to say, Haines explained to Stephen as they followed, this tower
and these cliffs here remind me somehow of Elsinore. That beetles o'er his
base into the sea, isn't it?

(訳)バック・マリガンはタオルをストラのように首に引っかけ、腹を抱えてだらしなく笑いながらスティーブンの耳元で言った。
「よう、このキンチの親父の亡霊君。父を捜すヤペテ君。」
「僕たちは朝は何時も疲れているんだ。」とスティーブンがヘインズに言った。「話せば長くなるし。」
 バック・マリガンは、また歩き出しながら、両手を挙げた。
「神聖なる一杯のビールのみがデダラスの口をほぐしてくれるのさ。」とマリガンが言う。
「つまりだねえ、」とヘインズは二人の後についてきながらスティーブンに説明した。「この塔とここの崖はなんとなくエルシノアを思わせるんだよね。’海に突き出し’だったっけ?」


* stolewise の stole(ストラ) は聖職者が首からかける長い帯状のもの。"Japhet in search of a father" は Capt. Frederick Marryat (1792-1848) の小説(1836)のタイトル。また "Japhet" はノアの3人の息子の三男の名前でもある。
"That beetle o'er his base into the sea" は Hamlet 一幕四場でホレショーがハムレット王についてゆこうとするハムレットに警告する台詞からの引用。



  Buck Mulligan turned suddenly for an instant towards Stephen but
did not speak. In the bright silent instant Stephen saw his own image in        570
cheap dusty mourning between their gay attires.
-- It's a wonderful tale, Haines said, bringing them to halt again.
 Eyes, pale as the sea the wind had freshened, paler, firm and prudent.
The seas' ruler, he gazed southward over the bay, empty save for the
smokeplume of the mailboat vague on the bright skyline and a sail tacking
by the Muglins.
-- I read a theological interpretation of it somewhere, he said bemused. The
Father and the Son idea. The Son striving to be atoned with the Father.

(訳)バック・マリガンは不意に一瞬スティーブンの方を振り向いたが何も言わなかった。輝く沈黙の瞬間の中で、スティーブンには二人の派手な衣装に挟まれた、安っぽく薄汚れた喪服を着た自分の姿が見えた。
「そいつは素晴らしい話だね。」とヘインズが言って、二人をまた立ち止まらせた。
 爽やかな風に吹かれる海のごとく青い目。もっと淡く、断固として用心深く。海の支配者。彼は南の湾の方をじっと見遣った。明るい水平線にぼんやりと漂う郵便船の煙とマグリズ島沖を間切って行く一本の帆影以外には何もない。
「僕は何処かでハムレットを神学的に解釈したのを読んだことがあるんだ。」と彼はぼんやりとした顔で言った。「父と子っていう考え方さ。父と一体になろうとする息子っていうやつだ。」


* Eyes・・・から The seas's ruler、まではスティーブンの Quoted Monologue。 'seas' ruler' とは七つの海を支配した英国を表し、スティーブンはヘインズをその英国の象徴と見ていると考えられるでしょう。
'the Muglins' は東の方の Dalky Island 近く更に沖にある島。'the mailboat' は前にも出てきた郵便船。
ヘインズが言う父と子の一体化という考えは、この Ulysses で後にスティーブンとブルームの間で展開する「父と子の出会い」というテーマを暗示している。



  Buck Mulligan at once put on a blithe broadly smiling face. He
looked at them, his wellshaped mouth open happily, his eyes, from which he     580
had suddenly withdrawn all shrewd sense, blinking with mad gaiety. He
moved a doll's head to and fro, the brims of his Panama hat quivering, and
began to chant in a quiet happy foolish voice:
-- I'm the queerest young fellow that ever you heard.
My mother's a jew, my father's a bird.
With Joseph the joiner I cannot agree.
So here's to disciples and Calvary.
  He held up a forefinger of warning.
-- If anyone thinks that I amn't divine
He'll get no free drinks when I'm making the wine                         590
But have to drink water and wish it were plain
That I make when the wine becomes water again.
  He tugged swiftly at Stephen's ashplant in farewell and, running
forward to a brow of the cliff, fluttered his hands at his sides like fins or
wings of one about to rise in the air, and chanted:
-- Goodbye, now, goodbye! Write down all I said
And tell Tom, Diek and Harry I rose from the dead.
What's bred in the bone cannot fail me to fIy
And Olivet's breezy - Goodbye, now, goodbye!

(訳)バック・マリガンはすぐに嬉しそうに満面に笑みを湛えた。彼は二人を見た。形のいい口を嬉しそうに開き、目は抜け目のない本性をすっかり引っ込めて、嬉しくてたまらないといったふうにしばたきながら。彼は、パナマ帽の鍔を振るわせながら人形みたいに頭を前後に動かして、穏やかで嬉しそうな馬鹿声で歌い始めた。
ー おいらは聞いたこともないくらい変竹林な若者さ、
お袋はユダヤ人で親父は鳥。
大工のヨゼフとは意見が合わぬ。
そこで乾杯、弟子のやつらと、カルヴァリの丘に。
 彼は気をつけろとばかり人差し指を上げた。
ー もしもおいらを神様と思わぬ奴がいたならば、
ワイン作っても只じゃ飲ませぬ。
ワインが小便になった頃、おいらが出したものを飲み、
こいつがビールだったらと思わせてやろう。
 彼は別れの挨拶代わりにスティーブンのトネリコのステッキを引っ張って崖っぷちまで走って行くと、今にも宙に舞い上がろうとしているかのように、両手を鰭か翼みたいに脇の所でパタパタさせて歌った。
ー さよなら、それじゃあ、さようなら。おいらが言ったことはすっかり書きとめて、
トムやディックやハリーには、おいらが復活したと伝えておくれ。
持って生まれた性分だからどうしても飛ばずにゃいられない。
それに、オリブ山には程よいそよ風。ーさよなら、それじゃあ、それじゃあ、さようなら。


* もう何度も言ったと思うけど、"his wellshaped mouth・・・" は 'with' を補って付帯状況のように読むと分かりやすい。"the brims of his Panama hat ・・・" も同様。
"my father's a bird" というのは、聖霊は鳩の姿で表象されるから。Calvary は言うまでもないと思いますが、キリストが処刑された場所。
"I'm making the wine" は、キリストが母親の要望で水をワインに変えたという最初の奇跡に言及している。(John 2:1-11)
"water" はおしっこの意。"plain" はここではアイルランド方言でビール。"That I make when・・・" は "drink water" の "water" にかかる関係代名詞。
"what's bred in the bone" は「生まれついての性分」といった意味。"Olivet"=Mount of Olives (オリブ山)、キリストが昇天したと言われる所。
性分で飛ばずにはいられないと言っているのは、一つには「鳩」(聖霊)が父親だからという理由と、天に召される運命だからという理由が考えられる。
いずれにしてもこの歌はキリスト教徒にとってはとんでもなく冒涜的な歌であったはずだ。



  He capered before them down towards the fortyfoot hole, fluttering        600
his winglike hands, leaping nimbly, Mercury's hat quivering in the fresh
wind that bore back to them his brief birdsweet cries.
  Haines, who had been laughing guardedly, walked on beside Stephen
and said:
-- We oughtn't to laugh, I suppose. He's rather blasphemous. I'm not a
believer myself, that is to say. Still his gaiety takes the harm out of it
somehow, doesn't it? What did he call it? Joseph the Joiner?
-- The ballad of joking Jesus, Stephen answered.
-- O, Haines said, you have heard it before?
-- Three times a day, after meals, Stephen said drily.                    610
-- You're not a believer, are you? Haines asked. I mean, a believer in the
narrow sense of the word. Creation from nothing and miracles and a
personal God.
-- There's only one sense of the word, it seems to me, Stephen said.
   Haines stopped to take out a smooth silver case in which twinkled a
green stone. He sprang it open with his thumb and offered it.
-- Thank you, Stephen said, taking a cigarette.

(訳)彼は二人の前を、翼のように両手をぱたぱたさせ、すばやく飛び跳ねながらながらフォーティーフットの入り江へと降りていった。爽やかな風がメルクリウスの帽子を震わせ、鳥のように甘い叫び声を二人のもとに運んでくる。
 用心深く笑っていたヘインズがスティーブンと並んで歩きながら言った。
「笑っちゃいけないんだろうねえ、多分。相当冒涜的だからなあ。と言っても、僕自身は信者じゃないけどね。でもああ陽気にやられると毒もなくなってしまうよね。あれ何ていうんだい?大工のヨゼフ?
「おどけイエスのバラッドさ。」とスティーブンは答えた。
「あー、」とヘインズが言った。「君は前にも聞いたことがあるんだね。」
「一日三回、食後にね。」とスティーブンがそっけなく言う。
「君は信者じゃないんだろ?」ヘインズが尋ねた。「つまり狭い意味での信者って言うことだけど。無からの創造とか奇蹟とかとかペルソナとしての神といった。」
「その言葉には一つの意味しかないと思うけどね。」とスティーブンが言った。
 ヘインズは立ち止まると、緑色の石がキラリと光る滑らかな銀のケースを取り出し、パチンと親指で開けて差し出した。
「有り難う。」とスティーブンは言って、煙草を一本取った。


* "forty foot" はマーテロタワーのすぐ下にある海水浴場。岩場で 'Gentlemen Only' と書かれた立て札が(現在も)ある。
"Mercury" はローマ神話に出てくる神の使者。マリガンの名前 'Milachi' もギリシャ神話の神の使者であり、その連想でマリガンをそう読んでいる。(1. 518 'Mercurial Malachi' を参照のこと。)
ヘインズが「用心深く笑う」というのは、その後の会話でも分かるように、この歌が酷く冒涜的だから。
"a personal God" というのは、三位一体のそれぞれは 'persona' (ペルソナ)からなり、そのペルソナの一つとしての神という意味だが、こういう神学的な議論はよく分からないねえ。



   Haines helped himself and snapped the case to. He put it back in his
sidepocket and took from his waistcoatpocket a nickel tinderbox, sprang it
open too, and, having lit his cigarette, held the flaming spunk towards         620
Stephen in the shell of his hands.
-- Yes, of course, he said, as they went on again. Either you believe or you
don't, isn't it? Personally I couldn't stomach that idea of a personal God.
You don't stand for that, I suppose?
-- You behold in me, Stephen said with grim displeasure, a horrible example
of free thought.

(訳)ヘインズも一本とって、ケースをパチッと閉めた。彼はそれを脇ポケットに戻すと、チョッキのポケットからニッケルの火口箱を出して、これもパチッと開いて自分の煙草に火を付けてから火口の炎を両手で覆いながらスティーブンの方に差し出した。
「もちろんそうだよ。」また二人で歩き出しながら、ヘインズは言った。「信じるか、信じないか、そのどちらかだよね。個人的にはあのペルソナとしての神ていう考え方には我慢がならない。君だってそんなの認められないだろう?」
「君は僕を」とスティーブンは不愉快そうにむっとして言った。「自由思想のおぞましい見本だと思っているんだね。」


* "tinderbox" は辞書に倣って「火口箱」としましたが、まあ昔のライターのようなものと考えればいいでしょう。


   He walked on, waiting to be spoken to, trailing his ashplant by his
side. Its ferrule followed lightly on the path, squealing at his heels. My
familiar, after me, calling, Steeeeeeeeeeeephen! A wavering line along the
path. They will walk on it tonight, coming here in the dark. He wants that       630
key. It is mine. I paid the rent. Now I eat his salt bread. Give him the key
too. All. He will ask for it. That was in his eyes.

(訳)彼は、相手が話しかけるのを待ちながら、脇でトネリコのステッキを引きずって歩き続けた。ステッキの石突きが軽やかに道を着いてくる。スティーブンの足下でキーキー鳴きながら。僕の使いの精、僕の後を着いてきて呼びかける。スティィィィィィィィィィーブン。道に一本波形の線。連中は暗くなってここに帰ってくるときこの線の上を歩くだろう。奴はあの鍵を欲しがっている。そいつは俺のだ。俺が家賃を払ったんだからな。今僕は奴の塩辛いパンを食う身分なんだ。鍵もやっちまえ。何もかも。奴はよこせとと言うだろう。目にそう書いてあったからな。

* "familiar"(=familiar spirit) は魔女などに使えるとされる魔物のこと。"My familiar・・・" から最後まではスティーブンの 'Quoted Monologue'。
"salt bread" はダンテの『神曲』天国編でダンテの祖祖祖父(?)がダンテの将来を予言するところへの言及。問題の箇所は "Thou shalt make trial of how salt doth tast another's bread," の箇所で、他人に寄食する辛さを喩えている。
"It is mine. I paid the rent." は議論を集めるところだ。解釈は二通り。一つは Hugh Kenner が述べているように、ここはマリガンの言葉をスティーブンが回想しているとと解釈である。その根拠は次のようなものだ。マーテロタワーの家賃は、539行でマリガンが答えているように年12ポンド。スティーブンは極めて貧しく、後に明らかになるように AE (George Russell) やマリガンにも借金をしている身である。彼の学校の給料は第二挿話で月3ポンド12シリングだと分かる。そうなると12ポンドという家賃はとても払えたとは思えないということになる。(尚、Quoted Monologue では他の登場人物が言った言葉が回想される箇所がよくあるので、本人の言葉か他者の言葉か紛らわしい場合がしばしばあるのでご注意。)しかしこの説の問題点は、スティーブンはこの挿話の最後の所でマリガンを "Usurper" (簒奪者)と言うが、マリガンが家賃を払っているならそう言えない筈であり、そこに矛盾が生じることになることだ。もう一つの説は、もちろんこれを素直にスティーブンの言葉と解釈する見方である。この場合問題になるのは先に述べたように貧しいスティーブンにはそんな高額な家賃は払えないだろうとする推測が成り立つという点だ。しかし、Stanley Sultan が示唆しているように ('The Adventure of Ulysses in Our World', Joyce's "Ulysses": The Larger Perspective, 1987) ともかくもかつてスティーブンに払うことが出来たと仮定すると、「鍵は僕のものだ。僕が家賃を払ったのだから。でも今は僕はマリガンに寄食している身だ。だから鍵もやってしまえ。」と言った意味になるだろう。僕自身もちょっと迷うところですが、"Now" という言葉がわざわざ付いている点や、"Usurper" という言葉を考えると、この解釈の方が妥当なのかも知れません。



-- After all, Haines began
   Stephen turned and saw that the cold gaze which had measured him
was not all unkind.
-- After all, I should think you are able to free yourself. You are your own
master, it seems to me.
-- I am a servant of two masters, Stephen said, an English and an Italian.
-- Italian? Haines said.
 A crazy queen, old and jealous. Kneel down before me.                 640
-- And a third, Stephen said, there is who wants me for odd jobs.
-- Italian? Haines said again. What do you mean?
-- The imperial British state, Stephen answered, his colour rising, and the
holy Roman catholic and apostolic church.
  Haines detached from his underlip some fibres of tobacco before he
spoke.
-- I can quite understand that, he said calmly. An Irishman must think like
that, I daresay. We feel in England that we have treated you rather unfairly.
It seems history is to blame.


(訳)「結局」とヘインズが話し出した。
 スティーブンが振り向くと、彼を値踏みするような冷たい視線には全く思いやりがないわけではないことが分かった。
「結局、僕は君が自分を解放できる人間だと思っているっていうことなんだ。君は自分の思い通りにする、そんな風に見えるよ。
「僕は二人の主人に仕える召使いだよ。」とスティーブンが言った。「イギリス人とイタリア人にね。」
「イタリア人?」ヘインズが言った。
 気の狂った女王。年老いて、嫉妬深い。私の前に跪きなさい。
「それに3人目もいる。」スティーブンが言った。「雑用をやらせたがるのがね。」
「イタリア人?」ヘインズがまた言った。「どういう意味だい?」
「大英帝国。」スティーブンは顔を紅潮させて答えた。「それから神聖なるローマ・カトリック・使徒教会さ。」
 ヘインズは、下唇から煙草の屑を取り除いてから喋り始めた。
「よく分かったよ。」と彼は穏やかに言った。「恐らく、アイルランド人はそういう風に考えているんだろうね。僕たちイギリス人も君たちを不当に扱ってきたと感じているんだ。歴史が悪いんだろうね。」


* "A crazy Queen, old and jealous. Kneel down before me." はスティーブンの QM。ローマ・カトリック教会のことを言っている。 "Keel down・・・" は、恐らく母親が臨終の床でスティーブンに跪いて祈ってくれと言ったこととの連想が働いている。ヘインズの言葉は如何にも白々しく、アイルランド人の感覚とのギャップを感じざるを得ない。英国とアイルランドの歴史の問題はこの作品の底に流れる主要なテーマなので、注意して置いて下さい。


  The proud potent titles clanged over Stephen's memory the triumph        650
of their brazen bells: et unam sanctam catholicam et apostolicam ecclesiam:
the slow growth and change of rite and dogma like his own rare thoughts, a
chemistry of stars. Symbol of the apostles in the mass for pope Marcellus,
the voices blended, singing alone loud in affirmation: and behind their
chant the vigilant angel of the church militant disarmed and menaced her
heresiarchs. A horde of heresies fleeing with mitres awry: Photius and the
brood of mockers of whom Mulligan was one, and Arius, warring his life
long upon the consubstantiality of the Son with the Father, and Valentine,
spurning Christ's terrene body, and the subtle African heresiarch Sabellius
who held that the Father was Himself His own Son. Words Mulligan had        660
spoken a moment since in mockery to the stranger. Idle mockery. The void
awaits surely all them that weave the wind: a menace, a disarming and a
worsting from those embattled angels of the church, Michael's host, who
defend her ever in the hour of conflict with their lances and their shields.
Hear, hear! Prolonged applause. Zut! Nom de Dieu!

(訳)誇り高き権威ある呼称がスティーブンの記憶に勝利の鐘の音を響かせた。そして一なる聖・カトリック・使徒教会に於いて。自らの思考、星々の神秘的変化にも似てゆっくりと成長・変化する儀式と教義。教皇マルケルスのミサにおける使徒信条。声が混じり合い、その声のみで朗々と信仰の証を歌う。そして、その歌声の背後には戦闘的教会の警備怠りなき天使が異端の始祖たちの武装を解除し威嚇した。司教冠を傾がせて逃げて行く異端者たちの群。フォーティウスと嘲笑者たちの一族、マリガンもその一人だ。それから生涯父と子の同一実体説に戦いを挑んだアリウス。それからキリストの現世肉体説を一蹴したヴァレンティヌス。父自らがその御子であると考えた巧妙なるアフリカの異端の始祖サベリウス。マリガンがついさっきあのよそ者にふざけて喋っていた言葉。無駄な嘲りだ。虚しき言葉を織りなす者全てには間違いなく空虚が待ち受けている。陣容を整えた教会の天使たちに威嚇され武装解除されうち負かされるのだ。戦となれば何時なりとも槍と縦を持って教会を守るミカエルの軍勢に。そうだ、そうだ!なりやまぬ拍手喝采。なんてこった、まったく。

* 最初の "・・・ the triumph of their brazen bells:" 以外は全てスティーブンのQM。 "et unam sanctam catholicam et apostolicam ecclesiam" はラテン語で、ニカイア公会議(325)で発せられたニカイア信条(Nicene Creed)からの引用で英訳すれば、 'And in one holy, catholic, and apostolic church,' となる。
"Symbol of the apostles" の "symbol" はこの場合、ミサの「信条」(creed)の意で、12の説が12使徒それぞれにあてられているのでこう呼ばれる。
"the mass for pope Marcellus" は、教皇マルケルス二世(1501-1555:教皇になってから12日で亡くなった。)このミサ曲はイタリアの作曲家パレストリーナが作で1565年初演。
"Photius"(820-891頃) はコンスタンティノープルの総主教。聖霊は「父と子から出ずる」のではなく「父より出ずる」と主張した。東方教会をローマカトリック教会から分離しようと主張したため敵視された。"Arius" (256-336頃)はアレクサンドリアの司祭で、三位一体説を否定した。"Valentine"はアレクサンドリア生まれのグノーシス主義者で創造神(デミウルゴス)とそれが作った物質的な世界は邪悪な者とし、キリストを神の国へ導く霊的な存在と考え現世的な肉体を備えた存在ではないと主張した。"Sabellius" は父と子と精霊とは様態の異なった同一のものと主張した。いずれも異端者と見なされている。
"Zut! Nom de Dieu!"はフランス語で "Damn it! In the name of God"。このあたりキリスト教の異端者の名前が色々出てきて面倒です。サベリウスは第二挿話にも出てきます。



-- Of course I'm a Britisher, Haines's voice said, and I feel as one. I don't
want to see my country fall into the hands of German jews either. That's
our national problem, I'm afraid, just now.
  Two men stood at the verge of the cliff, watching: businessman,
boatman.                                                    670
-- She's making for Bullock harbour.
  The boatman nodded towards the north of the bay with some disdain.
-- There's five fathoms out there, he said. It'll be swept up that way when
the tide comes in about one. It's nine days today.
 The man that was drowned. A sail veering about the blank bay
waiting for a swollen bundle to bob up, roll over to the sun a puffy face,
saltwhite. Here I am.

(訳)「もちろん僕はイギリス人だ。」ヘインズの声が言った。「そしてイギリス人としての感じ方をする。僕だって自分の国がドイツ系ユダヤ人の手に落ちるのを見たくはないよ。それが僕たちの国家的問題なんだ。今現在の。」
 二人の男が崖の縁に立って、じっと眺めている。実業家と船頭。
「あの船はバロック港に向かっているよ。」
 船頭が小馬鹿にしたように湾の北の方に向かってうなずいた。
「あそこは深さが五尋あるんでさあ。」と船頭は言った。「だから、1時くらいに満潮になると、あっちの方に流されますぜ。今日で9日だなあ。」
 溺れ死んだ男。帆船が一艘、何もない湾であちこちと向きを変えて、膨れあがったむくろが浮かび上がり、くるりと仰向けになって、塩に浸かって白くなったむくれ面を日に晒すのを待っている。俺はここにいるよ。


* Bullock harbour" はマーテロタワーから見てすぐ右手(南)の港。"The man・・・"からはスティーブンのQM。"Here I am."はスティーブンが溺死した男の言葉を想像して言っているというのが表面上の意味かもしれないが、一方、自らをイカロスに喩え、「海に落ちて溺れた自分はここにいる」と言った自分に対する皮肉な言葉と解釈できるかも知れない。


  They followed the winding path down to the creek. Buck Mulligan
stood on a stone, in shirtsleeves, his unclipped tie rippling over his shoulder.
A young man clinging to a spur of rock near him, moved slowly frogwise        680
his green legs in the deep jelly of the water.
-- Is the brother with you, Malachi?
-- Down in Westmeath. With the Bannons.
-- Still there? I got a card from Bannon. Says he found a sweet young thing
down there. Photo girl he calls her.
-- Snapshot, eh? Brief exposure.

(訳)二人は曲がりくねった道を辿って入り江へ下りた。バック・マリガンがシャツ一枚になってタイピンを外したネクタイを肩越しに靡かせながら岩の上に立っていた。一人の若者が近くの岩の突き出したところにしがみついて、深いゼリーのような水の中で蛙みたいに緑色の足をゆっくり動かしていた。
「弟も一緒なのかい、マラカイ?」
「奴はウェストミースのバノンの家に行ってるよ。」
「まだ向こうにいるのか?バノンから葉書をもらったよ。あっちで可愛い娘をみつけたんだってさ。フォトガールだってよ。」
「速射で一発って訳か?短時間露出だな。」


* Westmeath はダブリンの北西やく5-50キロにある県(county)。第四挿話で、この娘が、ウェストミースのマリンガーという町で写真屋の見習いをしているブルームの娘ミリーだということが分かる。覚えて置いて下さい。


  Buck Mulligan sat down to unlace his boots. An elderly man shot up
near the spur of rock a blowing red face. He scrambled up by the stones,
water glistening on his pate and on its garland of grey hair, water rilling
over his chest and paunch and spilling jets out of his black sagging           690
loincloth.
  Buck Mulligan made way for him to scramble past and, glancing at
Haines and Stephen, crossed himself piously with his thumbnail at brow
and lips and breastbone.

(訳)バック・マリガンは腰を下ろして靴ひもを解いた。年輩の男が岩の出っ張りのそばでぽっかり赤ら顔を出してブーと息を吹いた。その男は岩づたいによじ登って来た。水が頭の天辺と、その周りを花冠のように取り囲む白髪の上で光り、胸と太鼓腹を細い流れとなって流れ落ち、だらりと垂れた黒い下帯から勢いよくしたたり落ちた。
 バック・マリガンは男がよじ登ってくるのに道をあけ、スティーブンとヘインズをちらりと見遣って、親指の爪を額、唇、胸骨へとあてて、うやうやしく十字を切った。



-- Seymour's back in town, the young man said, grasping again his spur of
rock. Chucked medicine and going in for the army.
-- Ah, go to God! Buck Mulligan said.
-- Going over next week to stew. You know that red Carlisle girl, Lily?
-- Yes.
-- Spooning with him last night on the pier. The father is rotto with money.     700
-- Is she up the pole?
-- Better ask Seymour that.
-- Seymour a bleeding officer! Buck Mulligan said.
    He nodded to himself as he drew off his trousers and stood up, saying
tritely:
-- Redheaded women buck like goats.
   He broke off in alarm, feeling his side under his flapping shirt.
-- My twelfth rib is gone, he cried. I'm the Ubermensch. Toothless Kinch
and I, the supermen.

(訳)「シーモアが町にもっどているよ。」とその若者がまた岩の突き出した所にしがみついて言った。「医者になるのはやめて、軍隊に入るんだとよ。」
「あー、神様の所へ召されちまえばいいんだ。」とバック・マリガンが言った。
「来週ひと汗かきにいらっしゃるそうだ。カーライルのあの赤毛の娘、リリーっていうの知ってるかい?」
「ああ。」
「昨夜桟橋でやつといちゃついてたぜ。親父さんは腐るほど金があるんだ。」
「あの娘妊娠してるのか?」
「そいつはシーモアに聞くんだな。」
「シーモアがくそ将校とはなあ。」バック・マリガンが言った。
 彼は一人うなずきながらズボンを脱いで立ち上がり、陳腐なことを言う。
「赤毛の女は山羊みたいに飛び跳ねる。」
 彼はぎくりとなって話をやめ、はためくシャツの下に手を入れて探った。
「俺の12番目の肋骨がなくなっちまったぞ。」と彼は叫んだ。「俺は超人だ、歯欠けキンチと俺は、超人だ。」


* "Semour" は前にも出てきたマリガンの友人(ref. l. 163)。"bleeding" = 'bloody'。
"Go to God" は "Go to Hell"(地獄にでも堕ちやがれ:勝手にしろ)を捩っていったもの。しかし文字通り軍隊に入って戦争で死んでしまえ。という意味も込められているだろう。さらに、地獄へ行くのと神様のもとに行くのを同一視しているので、かなり冒涜的な言葉でもある。
"stew"=to sweat, to work doggedly and unimaginatively"。ここでは軍隊に入って大変な苦労をさせられることを言っていると考えられる。
"rotto" は slang で "rotten"。"up the pole"はも slang で 'pregnant' の意。
"Redheaded women buck like goats" は古来赤毛の人は人を裏切るとされてきた。女性の場合は特に性的に多情だということになる。ここは一応「飛び跳ねる」と訳したが、一人の男性の所に落ち着いていないという意味が込められていると考えていいだろう。
"Ubermensch"はニーチェの「ツァラツストラはかく語りき」に出てくる 'Superman'(超人)。12番目の肋骨がないというのはアダムのことで(創世記:アダムの12番目の肋骨からイブが生まれた)、だから「超人」なんだというわけ。また前に(ref. l. 92)自分とスティーブンを "hyperborean"(掟に従わぬ異邦人)と述べており、ここでもそのような意味合いが込められていると考えられる。



   He struggled out of his shirt and flung it behind him to where his         710
clothes lay.
-- Are you going in here, Malachi?
-- Yes. Make room in the bed.
  The young man shoved himself backward through the water and
reached the middle of the creek in two long clean strokes. Haines sat down
on a stone, smoking.
-- Are you not coming in? Buck Mulligan asked.
-- Later on, Haines said. Not on my breakfast.
   Stephen turned away.                                        720
-- I'm going, Mulligan, he said.
-- Give us that key, Kinch, Buck Mulligan said, to keep my chemise flat.
  Stephen handed him the key. Buck Mulligan laid it across his heaped
clothes.
-- And twopence, he said, for a pint. Throw it there.
  Stephen threw two pennies on the soft heap. Dressing, undressing.
Buck Mulligan erect, with joined hands before him, said solemnly:
-- He who stealeth from the poor lendeth to the Lord. Thus spake
Zarathustra.

(訳)彼は身体を捩ってシャツを脱ぎ、それを後ろの服を脱いであるところに投げ捨てた。
「ここに入るのかい、マラカイ?」
「ええ、ベッドをちょっとあけてちょうだい。」
 その若者は水をかいて後退し、それから二回長く水をかいて入り江の真ん中へ出た。ヘインズは岩の上に腰を下ろし煙草を吹かしていた。
「入らないのか?」とバック・マリガンが聞いた。
「後でな。」とヘインズが言った。「朝食を食べたばかりだからやめとくよ。」
 スティーブンはぐるりと向きを変えて帰ろうとした。
「僕は行くよ、マリガン。」彼は言った。
「あの鍵をちょうだい、キンチ。」バック・マリガンが言った。「シミーズの重しにするから。」
 スティーブンは鍵を渡した。バック・マリガンは服の山の上に交差させるように鍵を置いた。
「それから2ペンス。」と彼は言った。「一杯やるのにな。そこに投げておいてくれ。
 スティーブンは1ペンス硬貨を二枚柔らかい服の山に放り投げた。服を着たり、服を脱いだり。
バック・マリガンは身体の前で両手を組んで、立ち上がり厳かに言った。
「貧しきものより盗むものは主に貸すものなり。ツァラツストラはかく語りき。


* ついにここでスティーブンはマリガンに鍵を渡してしまう。それか2ペンスと言えば、老婆に牛乳の代金を払う時に2ペンス足りず借りにしたのと同額であり、ここでマリガンは、スティーブンが2ペンス持っていてしかも今日給料をもらうのに払わなかったのを根に持っていて、ここで吐き出させたのかも知れない。
"He who stealth from the poor lendeth to the Lord" は 'He that hath pity upon the poor lendeth unto the Lord.' という諺を捩ったもの。



  His plump body plunged.
-- We'll see you again, Haines said, turning as Stephen walked up the path      730
and smiling at wild Irish.
  Horn of a bull, hoof of a horse, smile of a Saxon.
-- The Ship, Buck Mulligan cried. Half twelve.
-- Good, Stephen said.
   He walked along the upwardcurving path.

Liliata rutilantium.
Turma circumdet.
Iubilantium te Virginum.

The priest's grey nimbus in a niche where he dressed discreetly. I will
not sleep here tonight. Home also I cannot go.                          740
A voice, sweettoned and sustained, called to him from the sea.
Turning the curve he waved his hand. It called again. A sleek brown head, a
seal's, far out on the water, round.
  Usurper.

(訳)彼のぽっちゃりした身体が飛び込んだ。
「それじゃあまたね。」ヘインズが、道を上って行くスティーブンの方を振り向いて、未開のアイルランド人に微笑みながら言った。
 牡牛の角、馬の蹄、サクソン人の微笑み。
「シップだぜ。」バック・マリガンが叫んだ。「12時半だ。」
「わかったよ。」とスティーブンが答えた。
 彼は上に湾曲しながら上がってゆく小道を歩いて行った。

   百合の如く輝ける聖証者の群 が
   汝の周りに集わんことを。
   栄光ある童貞の。

さっきの司祭の白髪頭の後光が、彼がつましく服を着る窪んだところに。今夜はここでは寝ないぞ。家にも帰れない。
 声が、甘あーく、長く、海から彼に呼びかける。彼は角を曲がりながら手を振った。艶やかな茶色い頭が、アザラシの頭が、遙か沖合に、丸く。
 簒奪者め。


* "Horn of a bull, hoof of a horse, smile of a Saxon." はアイルランドの諺 "Beware of the horns of a bull, of the heels of a horse, of the smile of an Englishman."から。サクソン人とはアイルランドでは英国人を指す。ここはスティーブンのQM。"The Ship" はパブ。しかしスティーブンはこの約束を破る。
"Liliata rutilantium ・・・"は前出。276-7行を参照してください。
"The priest's ・・・" はスティーブンのQMで、先ほど海から上がった、白髪が頭を取り囲むように生えている男が剃髪をした司祭であることがここで分かる。その司祭は岩の窪みで粗末な服を着ているところで、その剃った頭から後光がさしているという訳。
"Usurper" は「簒奪者」。ここではマリガンのこと。鍵を取られたからこう言っている。またこの小説の下敷きになっている「オデュッセイア」のペネロピーを狙う者たち、それから「ハムレット」のクローディアスに言及している。