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本当は,県立広島大学に赴任してからなるべく早く, 研究室HPを開設したいと考えていたのですが,なかなか時間が取れずなく時が過ぎてしまいました。 やっと,この度大学院生の田端爽一君の多大なお力で,研究室HPを開設することが出来ました。 過去の記事も含めて,徐々に充実させていきますので,よろしくお願い致します。



米村の略歴~大学教員になるまで~

小学校の時は,(今もですが)星や宇宙が大好きで,天文学者などかかわる仕事につければいいと思っていました。 また,外で,アリの巣などを調べるのもやっていました。

中学ではブルーバックスなどの本をよく読みました。 天文に関係するので,本に出てくる微積分は強い興味を持っていました。 NHK特集の科学番組はよく見ていました。なんでも興味を持てる好奇心が強い性格です。

高校では理科は物理,化学,生物を履修しましたが,生物も大好きです。 ただ,生物学は怖いイメージがあった(クローン人間など)。 当時の地学は内容が薄く履修しようとは思わなかったです。 世界史は一番の得意科目で,三国志やいろいろな歴史の本も読みました。 また,集団行動(グループ活動)で縛られたりするのが嫌いでした。 今でも集団というと,自分にとっては,集団リンチ,没個性など悪いイメージが強いですね。

大学時代の最初には向学心に燃え,よく物理学を勉強しました。 純粋数学は論理学で自然界との直接的つながりがなく,嫌いですね。 東大は進学振り分けというのがあり,天文学は定員が少ないため変動が大きく, かつ大型の機材を用いる研究が多いためグループ活動が多いのも嫌なところでした。 また,東大は自信家が多くマウントを取ってくる人が多かったので,辟易していました。 迷って天文に近い地球物理学科に行きましたが行ってからよかったかどうか迷っていました。 なお,化学系は丁稚のイメージが強く候補から外れていました。

大学の研究室では大気を光学的に測定する研究室に行きました。 大学時代から大学教員になれればいいなと感じていました。 その前に,研究所でいろいろ経験してから大学に出るのがいいのではないかと考えました。 博士課程に行くと経済的に大変なので,修士で公務員試験(Ⅰ種 物理)で入れるところに入りました。 将来の環境問題,食料問題に危機感を持っていたため,農業環境技術研究所を希望して入りました。

農業環境技術研究所で働きはじめた最初は,研究室長と折り合いが悪く大変苦労しました。 研究室長は業績が全くなかったので,研究業績がない研究者には, 研究業績がないだけの理由(思考の偏り)があると認識しました。 今でも研究業績がない研究者には警戒感があります。 博士号を取得するのに,8年かかってしましました。 海外に行くのは好奇心が刺激され大好きなので,なるべく海外に関係する研究に係るようにしてきました。 ドイツに留学(科学技術振興事業団 在外研究員で1年半)できました。 研究所では29年間働きましたが,研究所から大学に出るのは大変苦労しました。 コネ公募がとても多かったと思われますが,研究が学際的であったので, 大学で想定される分野に当てはまりにくかった理由も大きかったと思われます。

世の中の多くの仕事の中で,大学教員は自分には向いていると感じています。 医者も向いていたかもしれません。 好奇心が強いこともありますが,学生相手の仕事であり, 共感性の強さは,向いている特性の1つだと思います。