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コラム「蘭陵王」のエキゾチシズム

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年2月22日更新

  厳島神社は、593年、推古天皇の御代に建立されたと伝えられています。

  5月18日(火曜日)には、厳島神社で「推古天皇祭遙拝式」が執り行われます。この日は、高舞台で神事が執り行われた後、舞楽が奉納されます(神事は9時~)。五月の新緑と海の青を背景にして色とりどりの舞楽装束が煌めきます。

  今回のコラムでは、厳島神社で舞われる舞楽の中で、とくに有名な「蘭陵王」の魅力をお伝えします。

 「蘭陵王」のエキゾチシズム

  中国の北斉王朝の皇子、高長恭に由来する舞楽「蘭陵王」は、八世紀初め頃、唐から日本に伝えられたらしい。その後、都の貴族たちの間で盛んに行われ、平安時代末には平清盛によって安芸の厳島にもたらされた。

  仮面の下に女性のごとき美貌を隠して戦い、武勇の名を天下にはせた蘭陵王高長恭。彼の勲功を称えるこの舞は、数ある舞楽の中でもひときわ華麗なものだ。しかし、唐代の中国においては、非正統的な「散楽」という部類に位置づけられていた。漢族の伝統的な舞楽ではなく、西域の異民族からもたらされた俗楽として、一段低く見られていたのである。その楽器編成も、わずか三種類の西域系楽器から成る簡素なものであり、衣装も、おそらくは現在の日本で見ることのできるそれとは異なっていただろう。

  ところがこの舞は、日本に渡来して後、華やかに変身する。「蘭陵王」を殊に好んだ高野姫(後の考謙天皇)に仕えた尾張連浜主(おわりのむらじはまぬし)のアレンジ。あるいはまた、この頃来日して雅楽の教師となった林邑(ベトナム)僧の仏哲が、東南アジア的色づけを施した可能性も否定できない。

  平安時代に入ると、この舞は朝廷の中で、唐楽を中心とする左方舞(対するは高麗楽を中心とする右方舞)として高く位置づけられ、貴族的な遊びの場面を彩った。ちなみに日本の「蘭陵王」が身にまとう裲襠(りょうとう)は、唐王朝においては雅楽(正統的音楽)に属する武舞の舞人の衣装であった。

  外来文化の魅力に強くひかれながら、建前としてはこれを非正統と位置づけた唐王朝。それに対し、異質なものを喜んで受け入れ、これを独自に洗練させた日本。「蘭陵王」の放つ芳醇なエキゾチシズムは、日本においてこそ鮮やかに磨き上げられたものだと言ってよい。
    この舞は、厳島神社の神事に際して奉納される舞楽の一つとして、年に数回ほど一般に公開されている。「蘭陵王」生誕の地では、すでに滅びて見ることはできない。

柳川  順子


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