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生命科学コースでは、大学Web上で講義、学生のさまざまな活動や卒業生の声を連載形式で紹介しています。本年度は、教員の研究活動やこれまでの歩みについてインタビュー形式の連載としてお届けしています。8回目は阿部准教授(動物生殖工学研究室)です。
(3号館5F,3501室)
担当講義科目:生体機構学,発生・生殖科学など
専門分野は「動物生殖科学」で,哺乳動物の生殖細胞である卵子や精子を使って,生殖補助技術を開発しています.
2022年から不妊治療への保険適用が開始されたことをご存知でしょうか?厚生労働省の調査では,不妊の検査・治療を経験した夫婦は調査するごとに増加していて,その割合は約23%で4.4組に1組,ここに検査・治療の経験はないが不妊について心配したことがある夫婦を加えると,全体の約39%,3組に1組以上にのぼります(図1).かなり高い数字だと思いませんか?我が国で少子化が叫ばれて久しいなか,不妊で悩むカップルが多くいて,不妊治療には高額な費用がかかっていて,保険適用は社会的要請へ応えるために不可避なものだったのかもしれません.この適用により,治療を受けやすくなったはずですし,相談件数も実際に増えたと聞いています.しかし,目的は妊娠し子供を得ることですので,不妊治療には安全で高い妊娠率を実現できる生殖補助技術が必要です.
図1.検査・治療を経験した夫婦の割合(%)
そこで私は,「哺乳動物における卵子の凍結保存」を軸に,生殖補助に関する研究を,様々な動物種を用いて,実用的な観点から進めています.このような研究は,家畜や実験動物の生産効率を向上させるために以前からなされ,実際に活用されています.例えば,国内で飼育されるウシの95%以上が凍結精液の人工授精によって生まれ,数%は胚移植によって産まれています.ウシの人工授精の場合,1回の射精で100回分以上の凍結精液を作製できますし,液体窒素内であれば50年以上の保存が可能であることが実証されていますので,時期や場所を選ばず多くの雌ウシを妊娠させることが可能で,優良なウシを効率的に生産できます.一方の胚移植では,和牛から卵子を採取し,体外受精・培養の技術によって“和牛”の胚を作製,“乳牛”の仮親に移植すれば,市場価値の高い和牛の子が得られるうえ,仮親からは牛乳が生産でき,一挙両得な方法です.しかし,先ほど述べたように,胚移植の件数は伸び悩んでいます.その理由は様々ありますが,胚が高価なことや移植後の妊娠率が低いことが挙げられ,その解決策として私は,卵子の培養法と保存法を改良することだと考えています.
卵子の核は,卵巣内で成長している間は第一減数分裂前期で分裂が停止していて,多くの動物種では排卵期に第二減数分裂中期へと進行し,受精可能な状態になりますが,その現象を卵成熟と呼び,これを人為的に誘起する技術が体外成熟です.卵巣内に多数存在する卵子を有効利用するためには体外成熟が必要であり,ウシでは体外成熟の条件・環境が受精後の胚発生にも影響を及ぼすことが知られています.また,イヌのように体外成熟法が確立されていない動物種もいます.そこで,ウシやイヌ,実験動物であるマウスの卵子を用いて,成熟培養液などを検討し,成熟率や発生率の向上を図っています.一方の卵子の保存法として,受精卵の凍結は実用レベルにありますが,未婚女性などに適用できないため,晩婚化が進む社会に対応するためにも未受精卵の凍結が必要であり,これは動物生産においても汎用性が高い.しかし,未受精卵は障害を受けやすく,凍結保存が困難であるため,凍結時に卵子の品質が低下するメカニズムを解明し,その知見をもとに効果的な凍結技術を開発しています.動物種や発育ステージによって卵子の性質は異なるため(図2),それぞれに適した手法を開発していますが,特に最近は,ミトコンドリアや小胞体などの細胞小器官への影響に着目し,研究を進めています.これらの技術が,前述したヒト不妊治療や家畜生産のほかに,イヌでの技術開発を通して優秀な盲導犬の生産や,ペット産業の問題として提起されている無計画な大量繁殖,さらには引き取り手が見つからずに殺処分されるケースを減らすことに貢献できればと考えています.
図2.マウスの受精卵(左)とイヌの受精卵(右)
凍結した受精卵に由来する子犬が生まれた時ですね.これは,世界で初めての成功例だったこともありますが,常々私は現場に即した研究を行いたいと思っていて,この子犬誕生はイヌの生産,特に盲導犬の育成に貢献できると実感できるもので嬉しかったです.
この研究を開始した当初,イヌの卵子に関する技術や知見は少ない状態で,イヌの受精卵を回収する方法など誰もどの専門書も教えてくれませんでしたので,何もかもが手探り状態でした.盲導犬協会のご協力があり,避妊手術で摘出した雌の生殖器が得られたので,とりあえず卵管・子宮に培養液を流し込み,その液の中を顕微鏡でひたすら探しました.イヌの受精卵がどんな様子かもわからず,回収できる確証もない中での実験でしたので,途中であきらめそうにもなりましたが,そばにいた盲導犬協会の方の期待に応えなければと探し続け,3時間ほど経った頃に1個の他と異なる細胞を見つけました.にわかに受精卵とは信じられませんでしたが,それまで見ていたウシやブタの受精卵と頭の中で照らし合わせ,細胞塊を取り囲む透明帯という構造も確認し,これが受精卵に違いないと確信しました.残念ながら状態は非常に悪かったので,その後の研究には使用できませんでしたが,とにかくホッとしたことを覚えています.その後は,盲導犬協会まで片道3時間もかかりましたが,約4年間で50回以上日帰り出張して,受精後の様々な日数で多数のイヌから受精卵を採取し,何日かけて卵管から子宮へ移動するのか,どれほどの速度で受精卵は発育するのかを調べました.そして得られた受精卵は,あらかじめ未受精卵を使って確立した方法で凍結保存し,融解後の生存性はどのステージが高いのか調査しました.そのような実験を積み重ねたうえで,選定した受精卵を仮親に移植し,そこからも失敗はたくさんありましたが,ようやく子犬が誕生しました(図3).
盲導犬の場合,発情行動は訓練の妨げになるため,あらかじめ避妊・去勢されてしまうので,訓練後に優秀な盲導犬だとわかったとしても,直系の子を得ることができませんでしたが,受精卵の凍結保存はその問題を解決し,訓練後の盲導犬合格率を向上することが期待できます.また,このような生殖補助技術を盲導犬育成の現場に導入することを,ベテランの訓練士さんが好意的に捉えてくださっていました.彼らは豊富な経験と知識を持って訓練していますが,なかなか合格率は上がらず,新たな技術の導入が必要なことを感じているようでした.このような状況で受精卵の凍結保存が成功したので,「自分の研究が役に立っている」ということを実感できました.
図3.凍結受精卵に由来する子犬と仮親.
実家では多くの動物を飼っていたことが影響してか,小さな頃から動物が好きで,単純な理由ですが大学では動物に関わることを勉強したくて農学部に進学しました.大学3年生になって研究室を選ぶ際,野生動物を調査するような研究室もあったので迷いましたが,その当時はクローン動物が注目されていて,この技術は希少動物の保護にも使える素晴らしいものだなと思い,動物生殖科学研究室に入りました.ただこの時点では一般企業への就職を希望しており,大学院への進学も考えていませんでした.そこで与えられたテーマは「ウシ未成熟卵子の凍結保存」で,今でも私の研究のベースとなっているものです.実験をしていると失敗ばかりでしたが,体を動かしながらあれこれ工夫することは性に合っていたのでしょう.実験は楽しかったですし,先生や先輩にお酒を飲みながら色々な話を聞かせていただいて,その世界にのめり込んでいきました.別の研究室に入っていれば研究者にはなっていなかったと思いますので,研究室選びは人生を左右する重要なものだと思います.また,研究室の先生や先輩・後輩とは絆が生まれ,卒業して20年近くたちますが今でも連絡を取り合い,交流が続いています.これから研究室を選ぶ学生の皆さんには,「卒業さえできればよい」とか安易に考えず,後悔がないように真剣に悩んで選んでもらえればと思っています.卒業研究を通して,苦労を共にし乗り越える仲間ができるはずです.
高校生の皆さん,大学は当然ながら入ることが目的ではなく,何を学ぶかが重要です.偏差値だけでなく,様々な情報を収集し,自分が本当に進学したい大学・学部をぜひ考えてみてください.本学には多彩な教員が揃っていて,皆さんの興味を引く研究が見つかると思いますし,学生同士,学生と教職員のつながりが強く楽しい雰囲気もありつつ,一つのことに打ち込む落ち着いた境もあります.自分に合った充実した学生生活を送れるのではないでしょうか.
在校生の皆さん,将来の糧となるものを得て卒業してほしいとは思いますが,何か1つのことに一生懸命取り組んでみてください.問題に直面し継続した際に,自分で解決策を模索して悩み乗り越えた経験,うまくくいかなくても足掻きながら継続した経験は,社会に出てから必ず活きてくると思います.またその経験の中で,かけがえのない仲間をつくってほしいですし,研究室内でそのようなつながりができればと期待しています.苦しい時もあると思いますが,楽しい思い出をぜひつくってください(図4).
卒業生の皆さん,まずは元気でいてください.ほかに今さら私が言うこともありませんが,もし余裕があれば,周囲に感謝の気持ちを持って行動してくれればと思います.私は,教え子も含め周囲の方々に恵まれ,支えられて今のポジションにいますが,私が受けた恩を下の世代に少しでも還元できればと思っています.「恩送り」という言葉がありますが,そんな気持ちを持った人が増えることを期待しています.
図4.夏キャンプに向かう車中(上)と研究室恒例の芋煮会(下)
研究室および教員に関する情報 *より詳しい教育・研究内容は以下をご覧ください。
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